集中を高める『滑落回避法』
何かをやろうとして、モチベーションが上がらないことがある。体調が悪いわけでも、悩み事があるわけでもないのに、どうしてもやる気が出ない。そう感じることは誰にでもあると思う。
ボクはそんな気分になったとき、精神的な共通点があることに気づいた。それは「未来のゴールしか見ていない」ということ。
仕事でも家事でも、ある種の結果を求めてスタートする。人生経験を積んでくると、それが初めてのことであってもそのゴールに到達する過程がイメージできる。ましてや何度も経験のあることなら、達成感だけでなくそこに至る苦労も熟知している。
小説を書いているときなどがそう。何度か経験を重ねることで、完成したときの喜びと、その途中の苦しさを同時にイメージできる。モチベーションが上がらないときというのは、完成した喜びばかりにフォーカスしていて、できるだけ苦しさを避けようとしていることが多い。
マラソンを例にして考えるとわかりやすい。42.195キロを走るのは相当にキツい。だけどその達成感を経験した人は喜びを知っているだろう。そして新しいレースをスタートしたとき、気持ちはゴールの喜びを得ようとしているのに、同時にその途中の苦しさにゾッとしている部分もあるはず。
全体像が見えていることで、その先にどのようなことが待っているかわかってしまう。ゴールの感動を牽引力にして前に進もうとするけれど、まだ30キロ以上も走らなければならないと考えるだけで気持ちが萎えてしまう。マラソンの経験はないけれど、モチベーションが上がらないときってそんな気持ちに近いと思う。
その解決法として、以前にあるマラソン選手が語っていたことがある。とりあえずゴールすることを忘れる。そして次の角まで、次の信号まで、次の交差点までと目標を決めて、そこまで走ることに集中するそう。するとやがてゴールが具体的に見えてくるというもの。
ボクも同じことをやっている。気力が充実しているときは、全体像が見えていても足が前に進む。だけど思うように前に進めないと感じたときは、いまやっていることに集中するようにしている。その方法は少し変わっていて、ボクは勝手に『滑落回避法』と名付けている。
いまやるべきことに、あるイメージを重ねる。道幅が30センチしかなくて、高さが数百メートルもあるという道を想像して欲しい。もちろん手すりも命綱もない。滑落を回避しようと思えば、自分の足の動きに集中するしかない。その先にゴールのあることがわかっていても、そんなことを考えている余裕はない。少しでも集中が途切れたら、深い谷底に落ちていくしかない。
あるいは綱渡りでもいい。高いビルの屋上から他のビルの屋上まで、ロープの上を歩くというイメージ。要するにいま自分がやっていることに、『滑落回避法』を使って集中する。先のことなんて考えずに、いまのことに全力で集中する。そう思って作業を始めると、いつしか不思議な気持ちになってくるのがわかる。
ある種のゾーン状態に入ってしまう。そしてそこにあるのは緊張感ではなく、言葉にできない平穏であることに気づく。未来のことを忘れて『今』に集中することで、実はとてつもない心の平安を得ることができる。そして同時にやる気が自然と溢れ出す。
お風呂掃除なんかでも、ボクはこの『滑落回避法』を使っているwww 風呂上がりに掃除するのが日課なんだけれど、疲れていて面倒なこともある。そんなときは『滑落回避法』を使って掃除をスタートさせる。
五感をフルに使って、自分がやっている作業を感じる。腕に伝わる振動、水の音、風呂の匂い、流水の動き等をありのままに感じる。もし少しでも気を緩めると、深い谷底に落ちていくような気持ちを持ったまま。するとあっという間に風呂掃除が終わっている。
勘のいい人は気づいただろう。これは『瞑想』と同じ。
人間の本質として、『今』にいることは最高の歓喜となる。ところが人間は過去の後悔や、未来の不安で心がいっぱいになっている。その状態になるとモチベーションが下がって動けなくなってしまう。
そんなときは落ち着いて『今』を感じること。その方法としてボクは『滑落回避法』を使っているだけ。その実態は『動く瞑想』ということ。試しにやってみると、その感覚がわかってくると思う。そして『今』にいることの心地よさも感じられると思う。
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