宗教を隠れ蓑にした破壊願望
日本のメディアは自民党総裁選と大リーグの大谷選手の報道一色。たしかに誰もが関心を持っているだろうけれど、アフガニスタンやミャンマーでの出来事はなかったかのようになっている。
特に不気味なのがアフガニスタンの状況。学校は再開したけれど、女子生徒は通学を禁じられたというような情報も目にしている。ボクがタリバンを意識したのは、20年ほど前のこと。
偶像崇拝を禁じるイスラム教を極端に解釈することで、タリバンがバーミヤンの石仏を爆破したという報道。その周囲にあった壁画も永遠に失われてしまった。これは宗教を隠れ蓑にした暴力であり、タリバンが抱いている集合意識的な破壊願望が表面化した結果だと思う。
だけどこれらは現代だけの出来事ではない。人類は同じことをくり返してきた。この映画を観れば、その恐ろしさを実感できるだろう。
2021年 映画#140
『アレクサンドリア』(原題: Ágora)という2009年のスペイン映画。スタートしてすぐ過去に観たのを思い出しけれど、詳細を忘れていたのでもう一度観て良かったと思う。とても重いテーマの作品なんだけれど、4世紀にタリバンがやったのと同じようなことが起きている。その破壊行為に関わったのはキリスト教徒だった。
物語の主人公はヒュパティアという天文学者で、かつ新プラトン主義の哲学者。ローマ帝国の崩壊が近づいていた4世紀半ばの出来事。このヒュパティアを写真のレイチェル・ワイズが演じている。ダニエル・クレイグと結婚したのが2011年だから、その少し前になる。
タイトルにあるように映画の舞台はアレクサンドリア。エジプトの第二の都市で、この時代には古代ローマ時代の古い宗教が主流だった。アレクサンドリアには研究機関として図書館が置かれ、古くからの文献や資料が保存されていた。ヒュパティアはそこで若い人たちを教えていた。
ところがキリスト教がこの街に迫ってきた。ユダヤ教徒と連携することで、異教徒としてヒュパティアたちから図書館を暴力で奪った。その恐ろしさは映画を観るとリアルに伝わってくる。これは宗教の名を借りた暴力であって、貴重な資料はすべて破壊されて灰となった。
やがてキリスト教徒はユダヤ教徒も追い出す。街は完全にキリスト教世界となった。それでもヒュパティアは自分の信条を捨てることなく、正しいと思うことを口にしていた。それゆえ司教から恨みを買うことになり、結果として惨殺されてしまう。映画ではぼやかしてあったけれど。
同じことがアフガニスタンで起きている。人間はちっとも学ぼうとしない。この映画が秀逸なのは、ヒュパティアが地動説の証明に成功したことを効果的に使っていること。地動説を唱える彼女は、天動説を神の教えだとするキリスト教徒に殺されてしまうという構成。
おそらく地動説に関しては事実ではなくフィクションだと思うけれど、この世界の事情を理解できる見事な演出だったと思う。キリスト教徒が支配したアレクサンドリアは、皮肉なことに7世紀になってイスラム教の街となってしまう。歴史はくり返すということだろう。
宗教自体は大切なものだと思う。大勢の人の魂が救われてきたはず。だけどその宗教が政治に利用され、人間の心に潜む暴力性を焚き付けてきたのも事実。つまりどんなものも人を救うことができれば、滅ぼすこともできるということ。いろいろなことを考えさせられる映画だった
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