思いやりは人間の本質かも
ここのところ放火殺人や、街中で人が刺されるというニュースがネットで流れていた。殺伐とした報道を見ていると、人間の心の闇を感じて憂鬱になってくる。だけどこんなことを感じるのは、マスコミの報道姿勢に問題があるんじゃないだろうか。
もしかして人は他人に優しく、思いやりに満ちた存在なのでは? そんなことを感じさせてもらえる記事を読んだ。ある社会実験をまとめた内容で、読み終えたボクは感動で涙ぐんでしまった。その記事の出来事を思い返していると、人間の性善説を信じたくなった。
憎悪の言葉に溢れるSNSの書き込み。母国語に翻訳して本人に直接伝えることはできるのか?(社会実験)
リトアニアで実施された社会実験。英語しかわからないという黒人男性が仕掛け人。リトアニア語で書かれたSNS記事がわからないので、翻訳して欲しいと街を歩いている人に依頼するという実験。
想像できるように、そこにはとてもひどい言葉がリトアニア語で書かれている。黒人男性なので人種差別に関するものらしい。もちろん仕掛け人は書いてある内容を知っている。だけど「自分はリトアニアに来たばかりで、何も知らない。この国のことをもっと知りたいので、メッセージに何が書かれてあるのか教えてほしい」と目の前の人に頼む。
するとほとんどの人が困った表情をして、その依頼を断ったそう。その言葉がリンク先の記事にまとめてあるので抜粋してみよう。
「ごめんなさい。訳せないわ。あなたを傷つけたくない」
「こんなこと、あなたは知らない方がいいよ。あなたにとって全くいい情報ではないからね」
「訳してあなたに伝えたいとは思わない」
「ここに書いてあることは、侮辱でしかない。だから訳さないわ」
「あなたの目をみながら、ここに書かれてあることを訳すことはとても難しい。私にはできない」
ある女性は「本当に知りたいですか?」と念押ししてからこういった。「あなたがこのメッセージを個人的に受け取るのかどうかわからないけど、とても悪いことが書かれてあるの。差別的なこと。不本意だけど、訳すわ…」
そういってから翻訳したあと、その男性に謝罪の言葉を口にしたそう。
みんな優しいよね。これこそが人間の本質だと思う。だけどSNSでは他人を中傷する言葉が常時飛び交っている。同じ人間なのになぜそんなことができるのか?
この社会実験とのちがいは、相手と直接向き合っていないということ。ネットは匿名性が高く、発言者は自分の素性を偽ることができる。つまり自分が発言者だと特定できなければ、平気で他人を傷つける言葉を吐く。こうなるとつい性悪説を信じたくなってくる。
要するに人間はどちらにもなり得る。人間は状況次第で神にも悪魔にもなれる。だけどこの記事を読んでいる限り、ボクは性善説を信じたいと思う。直接向き合ったときに優しさを見せられるのは、そこに人間の本質があるような気がするから。
だけど心の奥深くに淀んだストレスやフラストレーションが暴発しそうになると、匿名という壁に隠れて他人を傷つけてしまうのかもしれないね。人間という生き物の魅力は、こうした不可解な部分にあるんだろうなぁ。
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