愛おしい時間は残せない
寒くなると楽しみなことがある。猫と暮らしている人ならすぐにわかるだろう。
それは布団に潜り込んでくる猫と一緒に眠ること。今朝も早朝の5時半ころ、ボクが布団で電子書籍を読んでいるとミューナがやってきた。ゴロゴロと喉を鳴らしながら近づいてきたので、スマートフォンを置いて布団を開けた。すると勢いよくボクの左脇に飛び込んでくる。
これほど至福な時間はない。フワフワの毛のかたまりは温かい。上下する呼吸に合わせるように、ゴロゴロの声が止まらない。去年の11月に慢性腎不全を発病したときは、本気で彼との別れを覚悟した。だけど1年経っても一緒に眠れることに感謝しかない。
だからこそ全力でその時間を体験している。五感をフルに働かせて、感じるすべてを記憶しようとしている。でもどれだけ頑張っても、その愛おしい時間を切り取って残すことはできない。無情にも時間は流れ続けていく。全力で引き止めようとしても、自分の無力を思い知らされるだけ。
コロナ禍で自宅にいる時間が増えた。24時間のほとんどを妻とミューナの3人で過ごしている。笑い合ったり、遊んだり、他愛もない話をしたりと、なんでもない毎日が過ぎている。もちろん楽しいことばかりじゃない。
ケンカをすることもあれば、体調が悪いときもある。今年の6月ころのボクは腰痛で苦しんでいた。小説を書いても思うようにいかなかったり、悔しい想いをすることは数しれない。それでもこの3人で過ごすことが、どれほど幸せなことか。ボクはいつも自分にそう言い聞かせている。
当然のことだけれど、いずれこのチームは解散する。一人抜け、二人抜け、ということになる。そんなことわかっているけれど、普段は知らないフリをして生きているだけ。でも最近のボクは、知らないフリをやめることにした。
最初に書いたように、3人で過ごす愛おしい時間を切り取って残すことはできない。時間は無情であり、諸行無常だから。だから愛おしい時間を残す方法はただひとつ。
全身でその時間を感じて、少しでも記憶に残すしかない。
そのために必要なのは、その愛おしい時間に集中すること。心配ごとや悩みごとは尽きない。そしてそれらについて真剣に考えることも必要。だけど愛おしい時間はどんどん過ぎていく。二度と取り戻せない瞬間を経験しているのに、頭のなかを他のことでいっぱいにしたくない。
そんなことをしていたら、未来のいつかに後悔するのはわかっている。愛おしい時間を失ったと感じたとき、なぜもっとあの瞬間を味わっておかなかったのか、と自分を責めるに決まっている。
だから何かに集中するときは全力で向き合う。そして頭を切り替えて、家族と過ごす愛おしい時間を存分に感じる。感情をコントロールできなく、うまくいかないこともある。だけど、やらないよりはいい。なぜならトラブルやケンカだって、未来になれば愛おしい思い出になることがわかっているから。
ましてや妻やミューナと笑い合っている時間は、何ものにも替えられない宝物のような瞬間。そんなときに他のことに気持ちが向いているなんてもったいない。そう思うようになったのは、いまの年齢なったからだろう。そのことに気づけただけ、ボクはラッキーなのかもしれないな。
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