八百万の神は優しい
人間は窮地に陥ると、神や仏にすがろうとする。ボクだって黒猫のミューナが腎不全を発症したとき、どこにいるかわからない『猫の神様』にお願いした。そしてそれから1年半になろうとしているけれど、2日に1度外出するときは必ず六甲八幡神社にお参りしている。彼が平安に過ごせることをお願いするために。
神という存在は、人間の願いに応えてくれる慈悲深い存在だと思われている。ところが人類の歴史における神という存在は、恐ろしい存在として描かれていることが多い。わかりやすい例で言えば、旧約聖書の神々たち。ノアの方舟の物語や、ソドムとゴモラの滅亡は悪夢でしかない。
ギリシャ神話の神々だって、すぐに怒る。稲妻を投げつけたりするからね。残念ながら日本の神様もかなり恐れられている。特に怖いのは、人間だった人が神になった場合。日本には怨霊信仰というものがあり、祟りを恐れるという風習が根強い。
よく知られているのは菅原道真。太宰府や京都の北野にある天満宮は、道真の祟りを鎮めるために創建された神社。現代人は学業成就のお参りをしているけれど、天満宮は道真の霊を鎮めるためのものだからね。
もっと怖い怨霊がいる。それは崇徳上皇。源平の時代、保元の乱で後白河天皇との争いに負けた上皇。四国の讃岐に流されるけれど、都に戻ることを願い、必死になって写経を続けた。それを京都の寺に納めて欲しいと送ったけれど、後白河上皇は無視。そのまま送り返してしまった。
崇徳上皇は天皇家を、いや日本を恨みながら死んでいく。そして死に際して「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」という呪詛をかけた。その呪いのとおり、平清盛が皇室に取って代わった。さらに天皇は実権を失い、明治維新まで武士による政治が続く。
崇徳上皇を祀ったのが京都の白峯神宮。この神社を創建したのはなんと明治天皇。つまり明治になっても、皇室は崇徳上皇の祟りを恐れていたということ。だから日本の神様だって、実はかなり怖い。
ところがちょっと雰囲気がちがうのは、八百万の神々たち。ボクが大好きな『しゃばけ』シリーズでも、それらの神々は親しみ深く描かれている。さらに心がポカポカになる八百万の神の物語を読んだ。
2022年 読書#34
『すべての神様の十月』小路幸也 著という小説。6つの短編が収録された作品で、八百万の神様が活躍する。短編のタイトルを紹介しておこう。
『幸せな死神』
『貧乏神の災難』
『疫病神が微笑む』
『動かない道祖神』
『ひとりの九十九神』
『福の神の幸せ』
という6作品。それぞれ独立した物語だけれど、神様同士は微妙に関係があってつながりもある。どの神様も優しくて、人間のことを大切にしてくれる。
例えば貧乏神は、人間を貧乏にして苦しめているわけじゃない。金持ちになることで人生を狂わせてしまう人を、貧乏にすることで助けていた。同じ意味では疫病神も人のために働いている。
人の死ばかりを看取っている死神の願いは、人間が生まれる場に立ち会うこと。『幸せな死神』という作品は、ある女性が召喚してしまって死神を幸せにするため、彼女が出産するときに死神を立ち合わせる物語。感動して思わず涙が出てしまった。
『ひとりの九十九神』も素敵な話だった。ご飯を炊く釜に宿った神様。物にも神は宿る。その神様は主人公の男性としか会話できない。幼いころに病弱で死にそうな主人公は、その釜で炊いたご飯で命を取り留めた。
成人して恋人と同棲したとき、主人公の母がガンになってしまう。そこでその九十九神は自分を犠牲にして主人公の母を助けた。医者も首をひねる状況で母のガンが消えたと同時に、その釜は役目を終えて真っ二つに割れてしまった。
ところが新婚生活を始めて二人が購入した炊飯器。それが言葉を話した。一度は消えた九十九神が、主人公の元へと戻ってきた。今度は炊飯器の神様になってねwww こういう物語を楽しめるのは、日本人の心にアニミズムが浸透しているからだろうなぁ。その精神はとても大切なものだと思う。
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