凡人が天才に並び立つ方法
今日の買い物帰りに立ち寄った公園で、春先に美しい花を見せてくれた杏の木が実をつけていた。
アーモンドの花と同じ時期に咲き、花の雰囲気もよく似ている。だから以前はアーモンドだと思っていた。同じことを感じた人もいたらしく、今年になって神戸市の案内板が置かれて、杏の木なので花や実を取らずに見守ってくださいと書かれていた。
まぁ、これを見たら取りたくなるよなぁ。もう落ちている実があったから、神戸市が収穫するなら急いだほうがいいよ。それよりも鳥たちが食べてくれるほうがいいかな。人間に取られないうちに、食べごろの美味しい杏が鳥たちのお腹に入りますように。
さて、今日はちょっとスピリチュアル的なことを書いてみようと思う。
小説に限らず、音楽や絵画の芸術的な分野には天才という人がいる。天才と呼ばれる人は、凡人が努力しても追いつけない『何か』を生まれつき持っている。もちろん努力で獲得したものもあるだろうけれど、天才が得たものは凡人の努力では追いつけない境地に思える。
そしてそんな天才には、引き立て役のような凡人が近くにいる。わかりやすい例で言えば、モーツァルトとサリエリ。サリエリは素晴らしい音楽家だったけれど、天才のモーツァルトに太刀打ちできない。それゆえ彼の嫉妬が、モーツァルトを亡きものにしようという歪んだものへと結実する。
今年の大河ドラマでいえば、源義経と梶原景時も同じ。義経は軍事の天才であり、常人が考えつかないような戦略を思いつく。それを近くで見ていた梶原景時だからこそ、その天才的な能力を恐れ、嫉妬することで源頼朝への讒言という行為に至ったのだろうと思う。
凡人のボクとすれば、できる限り天才と競い合える状況に到達したい。そこで以前から凡人が天才に並び立つ方法を考えていた。ここから少しスピリチュアル系の内容になる。その方法はたったひとつ。
『天を味方につける』
凡人が天才と勝負するためには、これしかないとボクは思っている。『天』という言葉を『宇宙』や『神』という言葉に置き換えてもいい。とにかくこの世界にあまねく存在している高次の意識体を味方につけるしか勝ち目がないwww
ボクの直感的な感覚なんだけれど、宇宙あるいは天という人間の高次集合意識という存在は、現在の人間に対して伝えたい『何か』を持っていると感じている。つまり『天を味方につける』ということは、メッセージを伝えるメッセンジャーになること。天才は生まれつきのメッセンジャーなんだと思う。
その方法として、ボクなりに考えた3点がある。もちろんまだ自分を実験台にした模索中なので、あくまでも途中経過としての方法。考えをまとめるために、書き出してみようと思う。
(1)ピュアな導管となること。
これが最大の難関。自分の肉体や意識を、天意を伝えるための導管にする必要がある。ここで問題になるのが導管を詰まらせてしまうエゴ、あるいは自我という意識。天意を伝えようという崇高な志があっても、有名になりたい、裕福になりたいというようなエゴが混ざり込むことで、導管が詰まってしまう。
こうなるとスムーズにエネルギーが流れない。自分の意識から自我を追い出し、どれだけピュアになれるかということが求められる。これがなかなか難しいと思う。どうしても利己心や、他人の評価から自分を守ろうとする恐怖心、嫉妬、自己評価の低さ等に邪魔されてしまう。
(2)質の高いスキルを磨くこと
せっかく天意を受け取れても、自分が表現する媒体のスキルが劣っていると誰にも伝わらない。小説でも、そして音楽や絵画でも、他人に受け取ってもらえるレベルまでスキルを高めていく必要がある。そのための努力は欠かせないし、凡人が天才に追いつくためにはひたすら継続するしかない。
(3)天、あるいは宇宙に向かって宣言すること。
メッセンジャーになります、という意思表示が絶対に必要。それは口に出して宣言するだけではダメ。もっとも意味のある宣言は行動に移すこと。下手でもなんでもいいから、実際に文章を書く、楽器を演奏する、絵筆を取るという行動にしなければいけない。いつかやろう、と思っているだけでは宣言にならない。まずはやってみること。これが宇宙に向けた最強の意思表示だと思う。
とまぁ、凡人はこんなことを考えて時間を潰しているwww だから天才に勝てない。
それでもこうして自分なりに考えてモチベーションを維持していくことで、天才と競い合うということに向き合っている。そうでもしないと、天才はやっぱり天才だからね。
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