憎しみの対象は許しの対象でもある
自分や家族が受けた苦痛に関して、加害者が特定されていたならば、怒りや憎しみの感情をその人物に向けられる。そうした不幸な出来事は通り魔殺人のような恐ろしい事件だけでなく、アクセルとブレーキを踏む間違えたというような交通事故でも起きる。
ではその出来事が戦争の場合はどうだろう? 現在のウクライナの状況なら、プーチンという怒りを向ける対象が存在する。あるいはロシア政府というくくりでも可能だろう。だけど第二次世界大戦でドイツが降伏したとき、すでにヒトラーは自決していた。だからと言ってドイツ人のすべてを憎むこともできない。
明らかな戦争犯罪人として裁判にかけられる人物がいても、一般国民がその戦犯者に鉄槌をくだすわけじゃない。そうなってくると、終戦直後のイギリスやフランスの人たちの心には、持って行き場のないふつふつとした怒りや憎しみの感情が満ちていたはず。
そんなとき、イギリス人が憎しみの対象を向けるのに最適な人物が登場した。実話を基にした、とても素晴らしい映画を観た。
2022年 映画#97
『キーパー ある兵士の奇跡』(原題:The Keeper)という2018年のイギリス・ドイツの合作映画。イギリスにマンチェスター・シティFCというプレミアリーグに属する有名なサッカーチームがある。そのチームの守護神として、1949年から1964年までゴールキーパーとしてプレーしたバート・トラウトマンという実在の人物の物語。
トラウトマンについて調べると、素晴らしい経歴の選手だった。マンチェスターシティーの博物館には、彼の彫像が置かれているほどの有名選手。だけと彼はドイツ人で、戦争中に捕虜となった。そんな彼がサッカー選手になるなんて、まさにタイトルにあるように奇跡の物語だった。
事実に基づいているものの、映画としてかなり脚色されている。それでも捕虜収容所に出入りしていた食品店経営者で、かつ地元のサッカーチームの監督であるジャック・フライアーに目をつけられたのは事実。そしてトラウトマンは、ジャックの娘であるマーガレットと結婚している。
映画を観ていない人のために、捕虜の彼がどのようにしてサッカー選手となったかは内緒にしておこう。気になる人は是非とも映画を観てほしい。絶対に後悔しないほど素敵な作品だから。
最も感動したのは彼がマンチェスター・シティーFCに入団した直後の出来事。戦争の傷跡が街だけでなく大勢の人の心に残っていた時代。だからドイツ軍兵士だった彼のデビューは、2万人が参加するほどの反対デモによって始まった。チームの支援団体であるユダヤ人の組織もスポンサーを降りたほど。
最初に書いたように、ナチスヒトラーに対する民衆の怒りや憎しみがトラウトマンに集中した。一般国民にすれば、最適な標的が登場したようなもの。だけどトラウトマンはブーイングにさらされながらも、彼の素晴らしい才能をプレーで魅せる。ドイツ人嫌いだった妻のマーガレットも、夫がどれほど素晴らしい人間であるかを必死で訴える。
やがて人々は気づいてく。持って行き場のない憎しみをぶつける対象は、怒りを手放すきっかけとなる許しの対象でもあるということを。
彼の素晴らしいプレーが人々の心を動かし、怒りの拳や罵声が、惜しみない拍手や声援に取って代わる。そして1956年、トラウトマンは相手選手との接触によって首を骨折していたのに、最後までプレーして優勝を勝ち取る。試合終了の瞬間には興奮してウルウルしてしまった。
でもここで終わらないのがこの映画のいいところ。彼は戦争中にある罪悪感に囚われていた。そしてその罪の償いを迫るかのように、彼は長男を交通事故で亡くしてしまう。単なるサクセスストーリーではなく、戦争というものがもたらす悲劇を見事に描いた作品だった。
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