頼朝と義経の確執は回避不能
先週の日曜は参議院選挙の開票速報が優先されたことで、大河ドラマの『鎌倉殿の13人』が休止だった。毎週楽しみで仕方ないドラマなので、一週抜けただけで禁断症状が出そうなほど寂しかった。今週は再び放送が始まるので、録画して明日にゆっくり観ようと思っている。
ドラマ以外でもすでに『平家物語』の現代語訳、アニメの『平家物語』は完了していて、毎日少しずつ読んでいる吉川英治さんの『新・平家物語』もようやく頼朝の挙兵が近づいてきた。そしてこの本も第2弾を読了した。
2022年 読書#67
『現代語訳 吾妻鏡2 平氏滅亡』五味文彦・本郷和人 編という『吾妻鏡』現代語訳の2冊目を読んだ。今回は元暦元年(1184年)から文治元年(1185年)までの内容が収録されている。『吾妻鏡』とは鎌倉幕府が残した日記のような歴史書。この時代の出来事を、鎌倉幕府の立場から知ることができる。
冒頭の解説によると、第2弾は1183年から始まるはずだけれど、この1年の記録が発見されていないとのこと。この1183年の12月には、ドラマでは佐藤浩一さんが演じた上総広常の誅殺事件があった。坂東武者の勢力拡大を懸念した頼朝の陰謀と言っていい事件。
その事件の直後から始まっていて、ドラマと同じく広常の無罪を自覚した頼朝の後悔が『吾妻鏡』にも記されていた。そしてここからの2年間は、歴史的にもっとも知られている出来事の連続。
平家を都落ちさせて入京した木曾義仲を、頼朝に派遣された義経が滅ぼす。さらに義経と同じく頼朝の弟である範頼が率いる坂東武者たちによって、平家が壇ノ浦で滅亡することも記されていた。この本のラストは平家を滅亡させたものの、謀反を疑われた義経が京を離れ、奥州へと逃亡するところで終わっている。
『吾妻鏡』は鎌倉幕府、すなわち頼朝に忖度して記されているので、義経の行動はかなり批判的な評価だった。そのあたりを考慮しても、やはり義経の行動はマズかったと思わざるを得ない。真相は別にして、義経を追い詰めた頼朝の行動は理解できるものだった。
なぜならこの段階では、まだ武家政治が確立していないから。相変わらず後白河法皇たちが政治を牛耳ろうとしている。だから平家滅亡に寄与した武士たちに対して、義経だけでなく朝廷は勝手に恩賞や官位を与えている。
武家の頭領として封建世界を成立させようとしている頼朝にとって、このような朝廷の勝手を許せない。『吾妻鏡』によると、頼朝は義経だけでなく、他の武士で官位等を受けた者たちにも鎌倉へ戻ることを禁じている。頼朝の推挙以外で恩賞を受けた武士を徹底的に排除しようとした。
ましてや頼朝の実の弟である義経が、源氏の誉だとして独断で検非違使となったのはまずい。後白河法皇に対して固辞できなかった段階で、彼の運命は決まってしまった。他の御家人に対する見せしめとして、実の弟でさえ罰を受けるということを知らしめる必要があったのだろう。
頼朝にすれば、ある意味好機だったと思う。義経の追捕を理由にして、日本全国に守護・地頭を置くことを朝廷に認めさせた。これが武家政権としての第一歩になったのは歴然たる事実。この点に関して、もう一人の弟である範頼は実情を理解していたということ。まぁ、いずれ同じことになってしまうけれどね。
梶原景時の讒言内容が事実かどうかに関わらず、頼朝にとって武家政権を盤石とするために必要だったんだと思う。義経は軍事の天才だったけれど、政治感覚がなさすぎたのだろう。とても興味深い内容だった。
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