「アラブの春」運動を誤解してた
ネット社会である現代は、世界中で起きたことがすぐに報道される。ところが具体的な事実だけが報道されているように感じても、実は真実とかけ離れた内容に偏向していることがある。できるだけ一次情報の確認を意識しているけれど、それが真実を捉えていなければどうしようもない。
ある本を読んで、そうした報道の偏向性を痛感させられた。
2022年 読書#68
『エジプトの空の下 わたしが見た「ふたつの革命」』飯山陽 著というエッセイ。エッセイと言っても、その内容はとても深い。著者はイスラム思想研究者でアラビア語も堪能。さらにアラブでの生活経験もあって、現地の状況をリアルに体験されている。
2010年12月にチェニジアで反政府デモが起きた。それをきっかけにしてシリア、イエメン、リビア、そしてエジプトでも反政府デモが続いた。当時はSNSを起爆剤としたデモとして知られ、民主化を求める声がアラブで連鎖反応を起こしたと報道された。
そうした民主化運動を好意的に見て、西側諸国は「アラブの春」と報道した。ボクもそのイメージを鵜呑みにしてしまい、素晴らしいことが起きたように感じていた。もちろんその後のシリア内戦の状況を見て、すべてがうまくいったわけじゃないことも知ったけれど。
それでも「アラブの春」というポジティブなイメージは残されたままだった。ところがこの本を読み終えて、それが大いなる誤解だということが分かった。もし同じイメージを抱いている人がいたら、絶対にこの本を読むほうがいい。アラブ、つまりイスラム社会の実態がエッセイを通じてリアルに描かれている。
イスラム教の信者といっても、様々な人たちで構成されている。テロによる暴力でジハード(聖戦)を決行することが、イスラム信者の使命だと考えている原理主義者たちもいる。その一方で民主主義というイデオロギーを理解して、柔軟に対応していく世俗的な集団もある。その中間的なイデオロギーを含めて、イスラム教徒といっても、ひとくくりにすることはできない。そのことをこの本で体系的に知ることができた。まだほんの一部だろうけれど。
ブログでその内容を書くのは無理。とにかく『何』を誤解していたのかだけ記しておこう。
厳格なイスラム教徒にとって、もっとも優先されるのはいうまでもなく神であり、イスラム法であるということ。だから民主化を求めているとしても、西欧諸国のような意味での民主化ではない。なぜなら人間が主権を持つことなんて許されないことだから。
人間は神の被造物であり、何よりも優先するのは神の言葉。つまり主権は神にある。だから敬虔なイスラム教徒たちにとって、西欧の民主主義は神を冒涜したものになる。人類が主権を持つなんて畏れ多いことだから。
「アラブの春」で起きた反政府運動によって、エジプトのムバラク大統領が失脚した。たしかに専制的な人物だったけれど、彼はイスラム教に関しては世俗派だった。だから西欧諸国に近い民主主義というものを意図していた。
だけどムバラク氏が反政府運動で失脚したことで、厳格なイスラム主義者たちがエジプトの指導者となった。それは異分子を排除するもので、著者のような異教徒の外国人は人間以下の扱いを受ける。
さらにイスラム教に存在するのは、執拗な女性差別。これは以前から問題視されているけれど、厳格なイスラム教徒は差別ではなく区別だと言い切っている。あくまでも神が定めた法に従っているという言い分。だから独身女性が一人で歩いていると、セクハラ的な言葉は常に浴びせられ、男性たちは痴漢行為をしても悪いと感じることがないそう。
2011年から2014年にかけて、エジプトではムバラク政権を継いだ厳格なイスラム政権が倒れ、結果として二度の革命が起きている。著者はその革命をエジプトで実際に体験されている。その内容はボクたちが知らされていた事実とはまったくちがうものだった。
著者はイスラム思想に関する多くの著者を出版されている。もう少しイスラム文化について知りたいので、他の本を読んでみようと思う。
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