運命の人に出会う前のニアミス
ボクは偶然を信じない運命論者なので、恋人であれ友人であれ、そして仕事関係の出会いも必然だと考えている。出会うタイミングはわからないけれど、出会うべき人には必ず出会う。
だけどそんな運命の人と出会う前、どこかですれ違っていたことはないだろうか?
IT技術の進化によって、知り合う前の二人の行動がチェックできる場合があるそう。
「交際相手と出会う前にすれ違った回数」をGoogleマップの位置情報履歴から求めた結果とは?
リンク先の記事はとても興味深い内容が紹介されている。付き合い始めた恋人たちは、5年前から同じ大学に通い、同じ街に住んでいたことを知った。そこでGoogleマップの位置情報履歴を使って、交際前の二人のニアミスを確認したそう。
その詳細は記事を見てもらうとして、交際前の二人は33回もすれ違っていたことがわかった。同じ大学に通い、同じ街に住んでいるなら、その可能性が高いのは想像できる。だけど親密になる二人が、互いを認識しない期間にすれ違っていたと考えるとワクワクしてくる。
最初にも書いたように、運命の人とは必ず出会う。だけど知り合うまでは他人だから、同じカフェの隣り合ったテーブルでコーヒーを飲んでいても気がつかない。自分のタイプの人だなぁ、と思う程度かも。
ボクと妻の場合も、出会う前のニアミスがあった可能性が高い。だけどリンク先の記事のように、同じ街に住んでいたわけじゃない。ボクが子供時代を過ごしたのは京都の山科という滋賀県との県境。
妻が暮らしていたのは嵐山に近い嵯峨。つまり京都市の東端と西端に分かれて暮らしていた。なのに知り合ってから話を突き合わせると、どこかでニアミスをしていた可能性が高いことがわかった。
まずは小学生から中学生にかけてのこと。ボクの母が家出をして父は再婚した。義母には両親がいなかったけれど、面倒を見てくれた叔母がいた。だから小学生から中学生にかけて、まるで祖母のようにボクは義母の叔母宅へ遊びに行っていた。
その義母の叔母が住んでいたのは嵯峨。広沢池のすぐ近くで、妻が暮らしていた家とは歩いて4〜5分の距離。だから子供時代に遊びに行っていた広沢池周辺の場所のことを妻に話すと、当然ながら子供時代の妻も同じ場所で過ごしていたそう。だからどこかですれ違っていた可能性がある。
ボクが十代の半ば、河島英五さんのコンサートに行ったことがある。ギター1本なのにすごい迫力のライブで、いまでも心に残っている。そのコンサートでちょっとしたハプニングがあった。そのことを妻に話したら、同時期に彼のコンサートに行って同じ経験をしていた。もしかしたら同じライブを見ていたのかもしれない。
そして妻と出会う4〜5年前のこと。ボクは生まれて始めて海外旅行をした。向かったのはアメリカのニューヨークとオーランド。実はまったく同じ時期に、妻も初めての海外旅行をしていた。妻の場合はアメリカの西海岸。
アメリカに降り立った場所はまったくちがう。だけどほぼ同じ時期に京都の旅券事務所でパスポートを取得していた。だからそこですれ違った可能性がある。そしてニアミスじゃないけれど、ボクがアメリカ大陸にいたとき、妻もアメリカ大陸にいた。
なんと利用した航空会社も同じだった。なぜなら映画の話をしていて、機内で観た作品が同じだったから。直接的なニアミスではなくても、運命の人との人生ルートはどこかで交差しようとしている気がする。だって出会いは必然だから。
そんなパートナーがいないと思っている若い人でも、実はすでに出会っているかも。でもタイミングがあるから、出会いの日まで待つしかないんだろうなぁ。
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