そして誰もいなくなった@鎌倉
今日も20度超えの神戸。掃除等で動いていると、暖かいというより暑い。どうやら今年の桜は早まりそう。ということで今年のお花見第1弾。
買い物道中にある早咲きの桜がほぼ満開だった。これを見るといよいよ春が来たのを実感する。この桜は初夏が近づくと、美味しそうなサクランボが鈴なりになる。家の人があまり取らないものだから、いつも鳥たちがせっせと食べているけれどね。
さて、今日のブログのタイトルは、ある本を読んで最初に浮かんだ感想。ちょっと寂しい気持ちになっている。
2023年 読書#28
『現代語訳 吾妻鏡11 将軍と執権』五味文彦・本郷和人・西田友広 編という書籍。昨年の大河ドラマである『鎌倉殿の13人』をきっかけにして読み出した『吾妻鏡』も11冊目。16冊まであるので、いよいよ終わりが見えてきた。
今回は暦仁元年(1238年)〜寛元2年(1244年)までの鎌倉幕府の記録が収録されている。前作の10冊目でドラマの主人公だった北条義時、北条政子という人物が亡くなった。すでにドラマの時間軸を超えている。
今回の大きな出来事は、ドラマの主要レギュラーが全て他界してしまったということに尽きる。まずは瀬戸康史さんが演じていた北条時房が死んだ。さらに山本耕史さんが演じていた三浦義村も。さらに義時の後を継いで執権となっていた北条泰時も病没した。亡くなったのは60歳だけれど、思い浮かぶ顔は坂口健太郎さんになってしまう。
北条泰時が亡くなったのは1242年。ところがなぜかこの年の『吾妻鏡』が見つかっていないらしい。だから1243年になって亡くなった事実がわかる。病気だったらしいけれど、亡くなった月が承久の乱の頃。それゆえ後鳥羽上皇の祟りでは、と当時に噂されていたそう。
つまりこれでドラマの主要キャラは全て舞台を降りた。だから『そして誰もいなくなった@鎌倉』という寂しい気持ちになっている。
泰時の後を継いだのは彼の孫の北条経時。泰時の息子の時氏は父より早く他界したので、泰時は孫の経時を後継者に指名したとのこと。この経時の甥にあたるのが北条時宗。元寇から日本を救った偉大なる人物。
この11冊目の時代は本当に平和。草創期の鎌倉幕府は、粛清の嵐が吹き荒れていた。頼朝を筆頭に義時の手も血で汚れている。だけど義時と泰時の親子によって、承久の乱で朝廷の反幕府勢力を一掃できた。だからこの時代は幕府と朝廷は争うことなく政治を進めている。
その象徴として4代目将軍となった頼経が泰時らと一緒に上京している。京都で8ヶ月近くも過ごしていた。頼経は藤原家の子息なので、元々は貴族。だから京都の人たちから歓迎されたのだろう。
ただこれからはそうも言っていられない。鎌倉幕府は将軍と執権による二重行政となっている。これがうまくいくわけない。当然ながら将軍の傀儡化が図られていくことになる。ドラマの時間軸は超えてしまったけれど、最後までこの顛末を見届けようと思っている。
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