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九弾感謝

9年前、僕らにはマイクが付いてませんでした。

殺陣もダンスも歌も出来ない太った29歳は、

なぜこのオファーが来たのかわからずに、

ただツメアトを残すためにメインの一人のマイク目掛けてアドリブを入れてました。


Gロッソの客席が半分も埋まって無かった頃の話です。


そしたら次からマイクが付きました。

日替わりのシーンをやらせて頂けるようになりました。


僕らのことも少しずつ認知して頂けるようになりました。

ちょうど娘が産まれた頃でした。


品川で学園祭に出させて頂けました。

その頃、赤いうちわはあまり見かけませんでした。


尼崎に行かせて頂きました。

息子が産まれました。


気づいたら9年経ってました。

29歳の太っちょは38歳の太っちょになってました。


きょう新大阪駅の改札内の車が展示してあるところを通りました。

夏の梅田からの帰りに怪我で新幹線のホームまで行けずに立ち上がれなくなって座り込んだ場所。

怪我が情けなくて、申し訳なくて、涙が止まらなかった九弾再演大阪公演初日。


学園祭の情報解禁時に本番の時に治っている保証が無かったので、

降板でも、、、と伝えましたが、それでも出てもらいたいと言ってくださり、

治ることを信じてくださった偉い方々。


きょう楽屋で尼子先生に「レジェンド」と言って頂けました笑。

本当にありがたい限りです。


今ではドクタケの女と言ってくださるお客様が大勢居ることが何より嬉しいです。

ドクタケのことも見てくださって本当に感謝です。


ぼくたちには名前がありません。

番号でしか呼ばれていません。

役名が無いことは僕は役者として本当は辛いことでした。

でも、役名が無くてもいいやって思えるようになってきました。

こう思えるようになったのもここ数年の話です。



全ては応援してくださるお客様のお陰です。



娘がいつも言います。

「忍者をやってるパパが好き」って。

息子はドクタケのブロマイドを持って

家の中をニコニコ走り回ります。



雪鬼は言ってました。

変化を恐れるな、、、と。

先のことはどうなるかわかりませんが、

もしまた赤くて名前の無い忍者になれたら、、、

その時は何卒よろしくお願い致します。


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コメント (2件)

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  1. こんにちは、けっこう遅いコメントですが読んでくださったら嬉しいです。私は韓国から忍ミュを見に来るファンです。私が忍ミュを見たのは6弾からでした。そしてその時から私にドクタケの皆さんは1さんから6さんまで全部そのままで私にとってはそれが皆さんの役の名前で、それは今も同じです。忍ミュがいってそこにドクタケがいったからこそ私には忍ミュでした。そう思うのはぜったい私一人だけじゃないと思います。いつかまた「おかえり!」と言う日をいつでも待ってます。忘れられない幸せな時間をくれて本当にありがとうございます。遠い場所だけどこれからも応援しています。

  2. はじめまして。
    はじめて9弾で忍ミュへ行き、はじめて学園祭へ行き、たくさんの幸せを貰いました。これまでみなさんが作り上げてきた、とても長くて、とても素晴らしい世界を見ることができて、本当に嬉しいです。そして、あなたさまの演じるドクタケ陸が大好きです。陸を演じてくださって、ありがとうございます。また会えることを心から願っています。9弾も、お疲れ様でした。


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開沼 豊(かいぬまゆたか)

開沼 豊(かいぬまゆたか)
生年月日:1980年6月25日
身長・体重:178cm・118kg
出身地:埼玉県

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