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◆ダイヤモンドブログ 奥寺康彦×船橋屋八代目渡辺雅司 二人のこだわりについて語ってもらいました!

奥寺康彦×船橋屋八代目渡辺雅司異業種対談 ダイヤモンドブログ独占対談! 奥寺康彦×船橋屋八代目渡辺雅司異業種対談!

渡辺雅司(以下:渡) ドイツから日本に戻られたのは何年前になりますか?

奥寺康彦(以下:奥) 今から24年前ですから1986年ですね。

渡 私が社会人としてデビューした年です。
銀行員として働きだした頃ですね。
私も奥寺さんがニュースで報道されていたことを覚えていますよ。

奥 そうですか!?渡辺社長がこの道に入ったのはいつからですか?

渡 私がこの道に入ったのは1993年です。

奥 ちょうどJリーグが開幕、スタートした年だ。

渡 はい、そうでした。
翌年の1994年にワールドカップ、アメリカ大会があったので覚えています。
そして私が結婚した年が1993年で、翌年の1994年5月には娘が誕生し、ちょうど全て私の中で高まる時期でもありました。
だから1993年1994年は、色んなことで話題がありました。

奥 そうだそうだ。

渡 ただ何となく金融をやりたいなとその頃から思っていて、高校から大学に進み、ずっと会計学を学んで銀行員になりました。

奥 そうだったんですね。

渡 はい。

奥 大変じゃないの?そういうの。

渡 銀行に入った時に、大いなる志を持って入ったんですね。
銀行は信用創造といって貸し出しを増やし経済を発展させるという社会的使命があるんです。

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奥寺康彦
出身地:秋田県
血液型:AB型
誕生日:3/12
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しかし現実、全然違う世界でした。
1986年に入った時は景気が元気になっていくところで、初勤務地である日比谷支店にどんどんお金を貸してたわけなんですよ。
その後3年間ディーラーをやって再び支店に戻ってきたら銀行の体制がガラッと変わっていて、今度はお金の回収をしろと。
バブルを通し銀行も迷い悩んだ時期でした。

奥寺康彦×船橋屋八代目渡辺雅司異業種対談!

奥 それってやっぱり、まぁ変な言い方すると目先の利益だけを追求しているが為でしょ。

渡 はい、そうなんです。
世の中に左右されながら、方針が変わっていくんですね。

奥 何か僕らから見ているとね、それもそうなんだけど銀行の方って自分たちが、僕からすると銀行も周りに左右されているんだけど逆に銀行がそういう風に仕向けている部分もあるんじゃないの?

渡 もちろんそうです。
全部被害を受けているのは一般の方々なんですね。

奥 出来ないんですかね、それは。
一本を筋通して…こう…これは世界でもそうなの?

渡 そうです。
全部一本筋がないところで運営されていた感じです。
だから当時13もあった都市銀行が今は、ほぼ3つになってしまったんじゃないですか。

奥 ってことはそういう業界は無理だっていうことですよね。
風見鶏じゃないけど、常に周りの動向を、流れを変えていかなければやはり大きくなれないし、生き残れないっていうことだね。

渡 例えば、奥寺会長が横浜FCに込められている思いとか理念とかというものは設立当時からずっと見られているわけですから。

奥 僕らはまだまだ新しい会社、クラブチームなんだけど、でもなぜ出来たかというと、市民なんですよ。
市民の方々が作ったクラブチームなんです。
最初は横浜フリューゲルスというクラブチームがなくなってからなんだけど、某企業の経営不振が原因で横浜フリューゲルスがなくなってしまいました。
そのような繰り返しは起こしたくはない。
やっぱり常に自分たちが応援できるクラブを持っておきたい。
だからそれは自分たちで作った方がいいのではないかということでこのチームができたんです。
海外は欧米もみんなそうなんだけど、企業も支えるんだけど、クラブを支えているのはやっぱり市民の力が大きいんですよ。

渡 後ろから押されているような感じになるわけですよね。
パワーというのが。

奥 だから僕はそれを守るっていうのはおかしいかもしれないけど、もうなくしちゃいけないんだと。
いくら不景気で例えばバジェットが2、3億でやったとしても選手の給料が安くしてもこれは維持しないといけないんだというそういう気持ちで最初やりましたね。
本当に大変だったけど。

渡 クラブの運営資金というのはどういった仕組みなんですか?

奥 J2のクラブではスポンサー収入が大きいと思います。
J1の場合、観客動員で上回っているクラブもあるけども、やっぱりまだまだスポンサー料がすごく多くて、50%以上くらいはスポンサーからの収入ですね。
もちろん観客動員やグッズ、クラブメンバー会員さんからの売上はありますが。
本当は我々は海外リーグのように一番のスポンサーはお客さんであるべきだとということを本当に考えています。

奥寺康彦×船橋屋八代目渡辺雅司異業種対談!

渡 その立ち上げのときから…当初の先ほど仰っていたフリューゲルスのところから、当時市民の後押しでクラブチームにしていこうとていう中で色々な葛藤などがあったと思いますが、よくぞ組織としてそこまでご決断されて……。
それがすごいなって思います。

奥 もちろん簡単じゃないんだけど当時クラブができて間もない時にピエール・リトバルスキーがいたんですよ。
彼が僕の所に会いに来て正月だったかな。
今度もしかしたら新しいチームの監督をやるんで、お前GM(ゼネラルマネージャー)やってくれないかというふうに来たんですよ。
でもどこだか全然言わなくて、じゃあ本当になるのであればだったら、もう一回話してくれって。
これはまあフリューゲルがあったチームなんだと。
ふーん、じゃあGMまあいいよということでその時はちゃんとスポンサーも代理店もつけていたんですよ。
それでちゃんと2億とかでそういうスポンサーを確保するからって。
そしたら、これはやっぱりドイツのチームでやっていた時と同じようなシステムで出来るんだなと、日本でね唯一そういうチームが出来るんだと。
それは楽しみだなと。
そういうようなことでお手伝いするようになったんだよね。

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