尊敬する人との別れ
2月9日に、おじいちゃん(母方)が
90歳で永眠しました。
今日で1ヶ月が経ちました。
青森の家に帰ったら、おじいちゃんが
「来たか~龍馬」と迎えてくれそうで
、受け入れる事ができません。
コロナ感染防止で病院側に制限あって
入院中~最後は会えなかった。
最後に会ったのは昨年の12月と
1月の病院入院時のLINE通話で最後
だった。
1番辛かったのは、おじいちゃんと
母だったと思う。
この2人の絆は測りきれない程でした。
幼稚園前の僕とおじいちゃん
「尊敬する人」おじいちゃん
おじいちゃんは周囲の気配り、思いやり
優しさ、とにかく頑張り屋で
人として尊敬する人でした。
感謝の言葉を素直に言える
相手の立場になりながら話すことって
簡単そうで難しい事ですよね。
色々な事を含めて、おじいちゃんは
凄い人でした。
生前にもそう思っていたけど
亡くなってから、、、知った
おじいちゃんの存在、凄い人だなって。
おじいちゃんを知る人達がたくさん
お悔やみに来てくださりました。
会場を全部貸切での葬儀でした。
姉と僕が受付
青森県の議員さん達が沢山いらして
くれました。
おじいちゃんが生前に御付き合いあった
方達。
おじいちゃんの家系は青森県では
名の知れた一族。
僕は、それを知ったのはつい最近。
いつも優しく気遣ってくれて
明るい おじいちゃんだった。
眠ったように優しい綺麗な顔でした
最後の最後まで、お母さんは身内の
意見と分かれてでも おじいちゃんに
してあげたい事を貫き通し介護し
一緒に年を越し、おじいちゃんの1月の
90歳の誕生日には一緒にいて
緩和病院に移してあげて看取りました。
おじいちゃんが亡くなった、その日
30人くらい緩和病院の看護婦さんや
医師たちがおじいちゃんを見送りに
玄関まで来て車が見えなくなるまで
一礼をしていたのにはビックリしました。
もともとは緩和病院は予約がいっぱいで、
入れなくて母は、すぐに入れるように
手配し、おじいちゃんのいた緩和病院は
有名な病院で兎に角、患者さんの
負担なく過ごせるようにと看護婦さんも
凄く多く部屋はキッチン、風呂、冷蔵庫
とか全てあり20畳くらいある個室で
窓からは岩木山が目の前に見え
毎日お風呂に入れてくれて毎日、下着取り
替えて綺麗なパジャマきて。
綺麗好きな、おじいちゃんにとっては
ピッタリな場所でした。
おじいちゃんが好きだった岩木山
おじいちゃん ゆっくり休んでね
ありがとう
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