父を亡くして
すっかりSNSの更新が途絶えてしまい申し訳ありません。
Twitterの方では報告させていただきましたが、12月上旬に大好きな父が他界しました。
お悔やみの言葉、御香典、本当に有難う御座いました。
初七日も終わり亡くなって20日程が経つのにまだ傍に父がいるような気がします。
未だ言いようのない寂しさの中、最近やっと自分の言葉で発信する気力が湧いてきましたので、お付き合いいただけますと幸いです。
さて、私の父についてお話しさせてください。
詳しくは言えませんが、
私の家は代々家業を営んでおりまして、地元では沢山の方々と支え合って生きてきました。
祖父母の代が最盛期で父とその兄弟たちは跡を継いで真面目に頑張ってきました。
父は私たち家族のために本当に休むことなく働いてくれました。
体が大きくて、頼りがいがあって、私たち家族は父を中心に家庭が成り立っていたと思います。
はじめから親には何も期待していない人もいますが、私にとって父以上の大きな頼りはいませんでした。
そんな父に癌が見つかったのは去年の夏でした。
すぐに札幌の大学病院を紹介されて11月に手術をしました。12時間以上の手術は無事に成功してその後はリハビリと入院で回復しました。
その時の担当医には綺麗に取れて転移も見られないと太鼓判を押されたそうです。
それからは何事もなく仕事に復帰することができ家族みんな安心していました。
しかし、今年の夏、病院の定期検診で怪しい影が見つかったのです。
「肝臓に転移しています」
「再手術はできません」
「放射線もできません」
抗がん剤の投与で癌の進行を抑えるしか選択はないと言われました。
私が医師に直接質問もしましたが「標準治療」としか言わず、その範囲を超えたものをしたかったら都心のセカンドオピニオンでもなんでもご自由に。ただ殆どは同じ治療を地元か東京でするかの違いだと。
安堵しきっていた私たち家族には本当に悲しい宣告でした。
様々な伝手を頼って出来る治療を探しましたが、現実的には研究機関で行なっている治験に応募するかしないと難しいと結論付けました。
それからが早かったです。
頼りにしていた抗がん剤も効かず今年の10月には入退院を繰り返すほど父の体調が悪くなりました。
みるみる痩せて、私と体格が変わらないほど父は小さくなっていきました。
思い出しても、それを見ているのがただ辛かったです。
例え、父を根治させられる医師がいたとしても、そこへ連れていけるほどの体力は残っていませんでした。
それでも亡くなる直前まで父は仕事を頑張り続けました。ここ数年、セミリタイアした時は母と旅行に行く計画もあったそうですが、どうしても父にしか出来ない仕事を頼む人もいて、結局は休む暇がないというのが正しかったです。
仕事人間で、何か一つ私の仕事が決まるたび私以上に喜んでくれる父でした。
人望が深く、父より周りに愛された人はいないんじゃないかと娘の私は誇りに思います。
香典帳には300人以上の方の名前が並んでいました。
父が死んだ朝、たくさんの仲間が泣いて偲んでくれました。
家に入りきらないほど枕花が届いて、父がどれだけ真面目に生きてきたか最後に教えてくれたようでした。
父の子供に生まれて30年。
もっと一緒にいられると思っていました。
充分と言う人もいるかもしれませんが、私にとって短かったです。
これから一緒に行きたいところも、話したいことも沢山ありました。
癌の転移がわかってから、出来るだけ傍にいられるように私は何度も地元に戻りました。
末期になると足がパンパンに浮腫んで靴も入らなくなってしまったので優しくクリームでマッサージしました。
本当に気持ち良さそうに、父は喜んでくれました。
もし今、家族が癌になってしまった方へ。
私の後悔と言えば病院を信じきっていたこと。
コロナで面会が出来なかったこと。
電話で、浮腫んだ足を解消するのに足を冷やす看護師と温める看護師の両方いると聞きました。
一貫性がなく、大病院でも誰に当たるかで患者の命運が簡単に変わるのだと。
医師は味方でありつつ家族は俯瞰で今後を見なければいけないと学びました。
生前の父に、
ズルい人は可哀想な人と教えられて育ちました。
その言葉通り、真面目に生き抜いた父は沢山の人々に見送られ天国へ旅立ちました。
勝手なことをしない、誰のことも助けてあげる。
家族愛が深くて母のことを最後まで本当に愛していた私の父は本当に立派な人です。
「人は二度死ぬ」
有名な永六輔さんの言葉ですが、今ではその通りだと強く感じています。
最初の死は医学的に死亡が確認されたとき。
二度目の死は全ての人の記憶から忘れ去られたとき。
父の肉体はなくなりましたが、
父のことを覚えている人がいる限り、
私の父が死ぬことはありません。
私も含め、大勢の人が父の死を惜しみ泣いてくれたから。
大好きで尊敬する父へ
あなたの人情家なところが私の人生の指標の全てになっています。
何に迷っても、最後は父が正しい方へ導いてくれると信じています。
父と過ごした人生は幸せそのものでした。
愛してるよ、ゆっくり休んでください。
2021年12月29日
最近の画像つき記事