高橋政知
【高橋政知】
この名前を聞いてピンときた方いますか?
この方、日本のテーマパークの概念を突き動かし、世界を轟かした人物です。
東京ディズニーリゾートを運営する
株式会社オリエンタルランドの
二代目社長である。
日本のウォルト・ディズニーと言っても過言ではない人物。
高橋政知氏がこの世にいなければ
東京ディズニーランド、そして東京リゾートは無かったと言われています。
元々オリエンタルランドは、
オリエンタルランド
という新しいレジャー施設を作る構想でした。
その後、
漁民への漁業補償。
そして千葉県からの土地の購入。
順調に交渉成立させていったのは、政知氏でした。
『ディズニーランドを持ってこよう』
初代オリエンタルランド社長の川崎千春氏
はとんでもないアイデアを打ち出しました。
そして交渉へ。
もちろん最初は門前払い。
当時のオリエンタルランドは名ばかりの弱小企業でした。
ディズニーランドは当時
まだアメリカだけにしか無く
海外パーク進出は眼中になかったのです。
日本でパークを展開するのなら
‘‘資金は一切出さない。そしてロイヤリティを10%支払うこと。”
という法外な条件をディズニーは突き付けてきました。
弱小企業には、非常に苦しい条件です。
修復不可能寸前までもめたことも。
ここで引かなかったのが政知氏。
専務だった政知氏は、持ち前の喧嘩腰と負けん気の強さで何度もディズニー社と交渉を続けました。
最終的にはこの条件を飲み
『あぁ、やってやろうじゃねぇか』
と言わんばかりに
1979年4月30日
ウォルト・ディズニー・プロダクションズとの業務提携を取り交わしました。
史上初の海外進出、フランチャイズでのディズニーパーク運営。
この時誰もが大失敗を予感した事でしょう。
1983年4月15日
東京ディズニーランドがグランドオープン。
ご存知の通り
東京ディズニーランドは大成功。
開園初年で、来場者数は1036万人!
後に、ウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOであった
マイケル・アイズナーは
『史上最大の失敗』
と語ったそうです。
アイズナーからしてみれば、
直営にしていればもっと儲かったのに(>_<)
という感じでしょうか?笑
(マイケル・アイズナーは、ビジネス思考故に、後にディズニー家と関係が悪化しディズニー社を追放されています。)
その後、政知氏の最愛の妻、弘子さんが倒れました。
会社に迷惑をかけぬよう、会長へ就任し病院へ看病の日々。
しかし、弘子さんは亡くなりました。
周りが声を掛ける事も出来ないぐらいに、落胆していたそうです。
低迷期からずっと支えてくれた奥さんですもんね。。。
でも高橋政知、
公私混同を酷く嫌う性格でした。
仕事はしっかり。
東京ディズニーランド開園5周年のとき。
【第二のパーク構想】
を打ち出しました!
今から26年も前の話だったんですよ!
ディズニー社は
ディズニー・ワールド・スタジオの建設を提案しましたが…
オリエンタルランドは海をテーマにしたパークというアイデアを出しました。
これが東京ディズニーシー。
本家のアイデアを否定する形になったため、もちろん一筋縄ではいきませんでした。
一つ一つ問題を解決していき、
着工まで10年以上がかかったのです!
イクスピアリ、ボンボヤージュなどの商業施設もどんどん出来ていき
東京ディズニー‘‘リゾート”
が形になっていきました。
1999年、
工事の状況を見にくる事はあったものの、この時の政知氏は85歳…。
身体は弱っていきました。
2000年1月28日
ディズニーシーを訪れて、プロメテウス火山をの出来に満面の笑顔をみせたそうです。
そして2000年1月31日
高橋政知氏は息を引き取りました。
東京ディズニーシーの完成を見ずに。
享年86歳。
まるでウォルト・ディズニーが
フロリダのディズニー・ワールド完成を見ることがなかったかのように。
ウォルトの兄
ロイ・オリバー・ディズニーは言いました。
『ウォルトはディズニー・ワールドの完成を見てないわけじゃない。彼が頭の中で見た景色がここにあるじゃないか。』
きっと高橋政知氏も見てたんじゃないかなと思います。
東京ディズニーシーの景色。
そして、翌年2001年9月4日
東京ディズニーシーグランドオープン。
88回目となるはずだった高橋政知の誕生日。
高橋政知氏、オリエンタルランドが努力を繋げてきた努力の結晶。
素敵な海のテーマパークが出来ました。
ちなみに。
東京ディズニーランドには
開園10周年のときに。
功績を讃え、日本人で初めて建物に名前が記されました。
ワールドバザールのタウン・センターファッションのショーウィンドウ。
『混んでるから帰ろうか〜。』
『ディズニーに遊びに行くのは混んでて当たり前だから我慢しよ〜。』
この、今では当たり前の概念。
ここまで沢山の人が集まる当たり前の状況、
みんなが笑顔で楽しめる当たり前の場所。
ウォルトの想像力はもちろんのことですが、
日本のディズニーパークは
高橋政知という偉大なる実業家がいなければなかったこと。
少しでいいから、遊びにいったときは
ウォルト・ディズニー、そして高橋政知氏
この偉業を成し遂げた2名に感謝を向けたいなって思ってます。
直哉