私39歳、乳がんになっちったw
今月の2日(火)のこと。
朝、起きたらチクチクッといった痛みを右胸に感じました
なんだろうと思って、胸をほぐそうと触ったら
今まで触ったことのないコリっとした感触が…
こ、こ、これはっっ
ピーンときたよね〜〜〜
「乳がんだっ」て
多くの人を悩ませるGのような存在の癌は素人の私でもはっきりとわかった
めっちゃ主張してるし存在感が半端ない
即、乳腺外科のクリニックを探して翌日(3日)に予約
クリニックに行くと…コロナの影響から、患者さんは私しかいなかった
(決して人気がないわけではないwww)
人がいないおかげでさっさと検査が始まり…
痛〜いマンモやエコー、そして画像を見る先生の確信に満ちた顔…
むむぅ先生…やはりそうなのか
「ちょっと組織をとって検査しましょう」
局所麻酔を打って太い針が刺さり、組織を取る時
バチンッってすごい音
「痛っ」
先生「えっ痛いですか?」
「痛い〜〜〜」
先生「え〜…痛いですか〜でも、あともう一回…バチンッ」
「やっぱり痛い〜〜〜」
先生「え〜…」
なんか痛かったよ?www
麻酔していなかったらきっともっと痛かったんだろうな
先生「検査結果が来週出ますので来週また来てください」
クリニックを後にして息子との会話、
「ママ、乳がんの検査受けたよ〜w痛かった〜〜〜www」
「え〜w痛かったの〜wママってばかわいそう〜〜〜w」(完全にノリw)
笑いながら考えたのはやはり息子のこと、これからのこと、お金(←がん保険に入ってない)のこと
私には息子がいる
興味ないことはすべて記憶になく、週3日ある塾のことすら毎回忘れてしまう…なんとも残念な息子が…
そして私はシングルマザ〜〜〜ひとりにさせられないよね〜
息子が立派に大人になるまではまだまだそばで支えなくては
結果は聞くまでもないと思っていたから、それからひたすら病院を調べた
あれよあれよと一週間が過ぎ、今月10日、
先生「結果が出まして…乳がんです。浸潤性乳管がんといいます。〜〜〜」
「あ〜…はい(ちぇっwやっぱりか〜非浸潤ではないなら…ちょっと進んでるな〜)」
(乳管がんは非浸潤のうちがステージ0の段階。浸潤がんは乳管の外にがんが漏れ出てきている状態なのでつまりステージ1以上〜)
自分で見つけて確信して乳腺外科に行き、検査に至った訳なので
ドラマのような「ガ〜〜〜〜ン…その時私の頭の中は真っ白になってしまい、そのあとの先生のお話は耳に入ってこず…」
…みたいなことにはならず、淡々とお話を聞いていて…
先生「〜〜〜。病院を紹介します。(一覧出して)どこにしましょうか?」
「私、色々と自分なりに調べてきたんですが、乳がんの手術件数が多い病院か、乳がんが治っても再発した場合を考えると全体的な癌に詳しい病院か…悩んでしまって〜」
先生「今はどこでも一緒ですよ乳がんの治療法は決まってきているのでどこでも同じ治療なんです。通院のことを考えると近場が〜。私がいる病院は〜。」
先生の話を聞いていたら、二つの病院に絞ってきていたはずの私の選択肢はどんどん増えていっちゃってwww
「選択肢がありすぎて、決められなくなっちゃった〜笑」
先生「そうですよね今日はもう遅いので予約も取れませんし…。
では、また二日後(翌日の木曜は休診日だったので)に来てくださいそのときまでに病院を決めてきてくださいね」
診察後、息子にその場で報告
「やっぱり乳がんだったよ〜」
「まぢか〜。ママ死んじゃうの?」
(息子の幼なじみの母親であり、仲良かった私のママ友が2年前の初夏、乳がん→肺癌で亡くなったので…)
「いやいや、死なない人もたくさんいるからママはやるべきことをやるだけだ」
「ふ〜ん。。。あ、あのさ、FFXIVなんだけどさ(私と一緒にやっているオンラインゲーム)、踊り子ってね〜…」
ちょっと天然で、ちょっと忘れっぽくて、ちょっと感性豊かで、ちょっと繊細で、ちょっと空気が読めない息子は
話を変えたかったのか、どうしてもハマっているゲームの話をしたいのか、こんな感じで淡々としていた
私と息子にこのような残念なことが起きるのは初めてではない。
過去にも悲しく辛い経験をして、4、5年かかりながら一緒に乗り越えてきた
人によるかもしれないけれど、大抵の子供は親の感情に大きく左右されると私は思っている。
だから親がどんな辛いことでも明るく話して、笑顔で前向きにいる姿を見せていれば、
それを見て聞く子供のショックはいかほどか和らぎ、立ち直りも早いものだと信じている
さて、がんと決まったわけなので、まずは家族のグループLINEに報告
「右乳がんになっちった〜」
そこからは電話やLINEの嵐で…
一番ウケたのは次兄の奥さん(「M義姉(エムネェ)」)からの電話だった
M義姉「やだ〜れな(本名)ちゃんどうしようねぇ、どうする〜〜〜?ね〜どうしようえ〜〜〜〜」
通話開始してからこれwまだ何にも話していないし、口を挟む隙間もないwww
その後も「やだ〜どうしようどうするちょっと〜心配〜〜〜」
もう笑いが止まらなかったw息子も横で大笑い
やだと言われても、どうしようと言われても、どうすると聞かれても返答に困るよと思いつつ
M義姉の無垢な明るさと声のトーンがなんとも心地良くて…そして嬉しくて…
それまで自分が淡々と事実を受け止めて、息子と笑いながら駅のホームにいたのに、
ここで初めてちょっとウルっときた
M義姉の旦那であり、神戸に住んでいる私の次兄(「ターチ兄」)だが…
兄も兄で、「これから東京に行く」とLINE。
え〜〜〜来たところで何もすることないのに
てか、泊まるやんやばっ準備しないとっ
片付けの最中、お母さんが家にやって来て、慌てて二人で準備…w
心配して来てくれるんだけど、なんか大変〜〜〜
夜21時30分頃…ピンポ〜ン
…まじでキターーーー
聞けば、M義姉も行く気満々で、幼い二人の子供たちもおもちゃをたくさんリュックに詰めて荷造りしていたという
コロナがあるからと文句ブーブーの中、強引に置いてきたらしい
そして、2時間くらいが経って、診断書を写真に撮ったり、考え込んだりしながらリビングでくつろいでいたターチ兄が一言。
「東京来たけど………なんもすることなかったわ」
っ
気づいた〜〜〜ここで気づいた〜〜〜
会社から新神戸駅に行くまでの間、気づかなかったのに
新神戸駅から東京駅、私の家に着くまで気づかなかったのに
ようやく気づいた〜〜〜
そして…また一言。
「明後日帰ろうと思ってたけど、することないから明日帰るわ〜」
二泊するつもりやったんか〜〜〜い
いったいどんな予定でっ
「来なくていいよ」って言っても来るだろうから言わなかったけど
東京来たら気持ちがすっきりしたのかなふふっ
その後も長兄の奥さん(「N義姉(エヌネェ)」)からの電話に、
夜遅くまで脳神経外科リハビリクリニック(http://www.nougeka.info/pc/doctor.html)で働いていた長兄(「ケーチ兄」)からの電話。
私よりも家族のほうがドタバタしてるからなのか
これからの闘いへの士気が上がった…と思う
というわけで、次回へと続いていくわけですが、
しばらくは乳がん闘病日記になりそうです。
長々とすみませんでした
次回は「私39歳、乳がんで病院へ!」なんてねw んがふふw
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