現役引退
昨シーズンをもって引退する事を決断しました。
ここで改めて、皆様に感謝の気持ちを伝えさせてください。
プロサッカー選手になって17年。
振り返ると、とても幸せな17年でした。
高校を卒業して、すぐにG大阪に入団し、そこで日本のトップレベルの選手たちとプレーし、J1優勝まで経験させてもらいました。
当時のサポーターの皆さんにも支えられました。アルビレックス新潟に移籍が決まった時のこと。新潟へ旅立つその日に、あるG大阪のサポーターから「新潟に行く前に〇〇にあるファミレスに寄って欲しい」と言われ、そこへ行くと、ファミレスが貸切になる程のG大阪のサポーターの方々が集まってくださっていました。
「新潟でも頑張ってきてほしい」と、僕を激励してくれました。とても嬉しかった出来事。今でも、あの日を思い返すと胸が熱くなります。
新潟では、たくさん試合にも出場させてもらいました。嬉しい事、苦しい事…たくさん試合に出場させて頂いた分、気持ちの面でも、たくさん鍛えさせて頂き、自信にも繋がったアルビレックス時代。
FC東京への移籍が決まった時には「どこに行っても俺は松下を応援するから」そう言ってくれたサポーターの皆さんの言葉には力を頂きました。
FC東京でも、尊敬できる先輩方、仲間たち、指導者の皆さんに恵まれ、サッカーについてたくさん勉強をさせてもらい、サッカーの楽しさを学ばせてもらいました。たった1年の在籍でしたが、鹿児島に移籍し、FC東京とアウェイで対戦した時には、たくさんのFC東京サポーターの方々が僕の名前を呼んでくれました。頑張れ!と言って、拍手で出迎えてくれたあの瞬間。嬉しすぎて鳥肌が立ったこと、今でも鮮明に覚えています。
ベガルタ仙台では、優勝争いやACL出場など、熱くて痺れる闘いをたくさん経験しました。
そして、忘れられない、忘れてはいけない、東日本大震災。あの時は大好きなサッカーをこのまま続けてもいいのかと、自分自身、本当に苦しかったのと、何もできない無力さに、心を痛めた日々でした。ただ、ひとつだけ、あの時の僕にできたこと。サッカーで宮城の皆さんを元気にしたい、ご縁があったこの宮城で、僕が精一杯できることは、ひたむきにサッカーを頑張ることなんだと、その想いで必死にプレーをした3年間でした。
そして僕のサッカー人生の中でも、たくさん考えた時間でもありました。
横浜FCでは、その歴史を知り、魂のこもった思いと共にJ1昇格を目指した事。その願いを達成できなかった事が心残りでした。ただ、偉大な先輩、仲間、指導者の方々に出会い、共に闘えたこと、僕の一生の財産です。
そして、地元である鹿児島ユナイテッドFCでは、監督、コーチ、選手、サポーター、スポンサーの皆様、チームスタッフ全員が一体となって闘い、J2昇格という目標を達成し、新たな歴史を作りました。
その中のメンバーの一員としてプレーしてきたことは、鹿児島県人として、感慨深いものがありました。
それぞれのクラブと、それぞれのサポーターの皆様が、17年間の僕のサッカー人生を彩り豊かなものにしてくれました。
どのクラブでも素晴らしい方々に出会えた事は、僕の宝物です。心から感謝致します。
歩んできたサッカー人生、どの場所でも、僕は100%の力で取り組んできたという自信があります。
また新たな舞台でも、全力で、魂を込めて、頑張っていきたいと思います。
皆さんからの力を、僕のこれからに活かしていきます。
最後に、この17年の間に、僕に関わってくださったすべての皆様、支えてくれた家族に、心から感謝します。
17年間、本当に、ありがとうございました。
長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
心から感謝を込めて 松下 年宏