『MOTIVATION』(動機づけ)
「人は優しくされることによって
癒(いや)され、
慰(なぐさ)められることによって
やる気を起(お)こす」
頑張(がんば)れ…と言っても
頑張れない者たちもいる…
どうしてこんなことができないんだ…
と言われて嬉しく思う奴などいない…
激を飛(と)ばせば
やる気が起こるかというと
そうでもない。
根性を出せ…と言っても
一方通行で終わってしまう…
言うは易(やす)く行うは難しである。
指導的(しどうてき)な立場に
立たされている者は
権威(けんい)に立って
「あなたは指導者の言う事を
聞きなさい…」
という上から目線の態度では
学ぼうとする者の中にある
天から才能を
引き出すことは出来ない…
与えられている指導的立場は
偉(えら)そうにするために
あるのではない…
魂のロッカーは
「偉くなりたければ
仕える者でありなさい…」
と謳っている。
導(みちび)いている者に
UNDERSTAND(理解)してほしい…
と願うなら、
その指導者が導いている者の
UNDER(あしもと)に
STAND(立つ者)であることだ…
魂のロッカーは
「すべて疲(つか)れた人、
重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたを
休(やす)ませてあげます。
わたしは心優(こころやさ)しく、
へりくだっているから、
あなたはわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい…
そうすればたましいに
安(やす)らぎが来ます…」
と謳っている。
上から目線で
命令(めいれい)するのではなく、
へりくだる
謙虚(けんきょ)さをもって、
己の言っていることを
自らがやってみせて、やらせる…
すなわち、学んでいる者を
自分もやりたい…と思わせ、
行動へといたらせる魅力を
あらわせる者が指導者なのだ…
JESUSは心優(こころやさ)しく、
へりくだっている方である。
人に対して憂(うれ)えをもち、
しもべとなって仕えて行く方なのだ…
十字架の出来事は
JESUSが言っていることを
やってみせた証(あかし)でもある。
きびしさだけだと
人の心はおれてしまう…
きびしさ以上に謙虚(けんきょ)な
姿勢(しせい)から来る
優(やさ)しさを忘れないことである。
今日という日があなたにとって
あなたを見捨てず、
いつくしみとめぐみをもって
あなたの中(うち)に…
また傍(かたわ)らに…
そして共(とも)にいて
仕(つか)えてくれている方が
いることを忘れない様に…
『きびしさよりも
やさしさをもって仕えよ』
アーサー・ホーランド
2019.6.25
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