僕の見た被災地(2011.4.16〜17)
先週末ちょっとしたきっかけをいただき、宮城県に救援物資を届けてきました。想いとかいろいろあるけれど、上手くまとまらないし、だけどあんまり時間が経つのも違う気がするので事実を並べる様な感じになってしまうけれど記録として書いてみようと思う。
4.16 東京出発。天気のいい土曜日、ちょうど震災から一ヶ月後11日にあった大きな余震で一度は諦めた物資輸送が出来て気持ちが高ぶる。どうか無事届けられるように。一度は諦めかけた事もあり直前になってしまった物資集めだったが、やっぱりみんな何かをしたいという気持ちが強い人が多く沢山の荷物が集まったことに感謝。ツイッター上では僕個人に募金として支援してくれた方々もいた。それも物資に変えて出発。やがて入った東北自動車道は車の量も多い。緊急車両、ガソリン運搬車、牛乳運搬車、そういった車たちにガンバレー!と声をかける。快調な運転だったその時’ゆれくるコール’が鳴る。やがて高速は通行止めになり一旦下道へ、30分後に開通。また北へとひた走る。福島あたりから高速道路状況が一変。道路の継ぎ目の度に車が少し跳ねる。沿道の家も崩れたり屋根にブルーシートかかってたり。
pm4:30 同乗していた友人と別れ夕暮れの中、単身東松島市へ。巨大な石碑が倒れてたり古い民家はペチャンコといった風景が目立ち始める。正直怖くなる。マンホールが1mほどせり上がった歩道、崩壊したのであろうここ一ヶ月で造られた新しすぎる道路。川沿いを走ると急に砂利道になり多くのダンプカーとすれ違う。相互通行できぬ場合は一般車は一旦止まり工事車両や自衛隊の車両などを優先するルールを前を走る車から習う。
pm5:45 東松島市小野市民センター到着。米軍が作ったという入浴施設「ニューヨーク」という看板が目に入る。避難所の受付の方に声をかけると物資を見せてくださいと言われる。荷台を開けて一番最初に持っていってくれたものはティッシュ関係、消耗品は助かるとの事。おかし類、長期保存可能な業務用豆腐、みそ汁類。積み降ろし完了。もう一つ、今回僕が考えた物資テーマの一つは花見支援だった。「もうじき桜前線も上がって来ます、花見の足しに日本酒もあるんですが、、」と告げると「個人的には嬉しいのですが、」との答え。個人的にもらってもらう事に。そうこうしていると後ろから歩いてきたオジサンがワシも持ってくわと嬉しい言葉。結果、日本酒6升(福島県二本松産)、ワイン1ダース、缶ビール1ケース、さきいか、鱈チーズ、カキピー各種。花見支援完了。しかし40リットル近く持って行ったミネラルウォーターは足りているので受け取れないとの事。
pm6:10 地元の方にお別れを告げ小野市民センターを後にする。橋の向こうは海岸なのだが周りはもう薄暗い。’あの’風景を見る勇気もなくその日の宿泊地仙台市へ向かう。川沿いを走ると異常なほど整理されている土手。一台だけ車が突き刺さっていた。そうか、ここにも波は来たのか。東京から運んで来て渡せなかった40リットルの水のせいか、車も重い。
pm8:00 1時間半かかってようやく仙台到着。何しろ三陸道は渋滞していたのだ。ほとんどが日中に海岸地区の支援を行っている自衛隊車両、電気、ガス工事車両。国分町近くに車を置いて以前からツアーなどで行きつけになっている国分町の知人などの店を回る予定だ。
いろいろな人に話を聞くと、ようやく国分町には電気とガスが戻ったらしい。仙台の人たちも飲みに出れるようになったんだなあ。でも何か違う。道を歩きながら周りの人たちの服や言葉ですぐに分かった。その夜国分町で飲んでいたのは日本全国各地からやってきた工事関係者達だ。〜工業と書かれた作業着を着た人が言っていた。「あー、もう11時だ。今日二時間しか寝れないわ。」3軒目の飲み屋で仙台の皆さんとお話が出来た。坂本サトルさんとDateFMで番組を一緒にやっているヨシヒデさんも合流。被災地支援の話などを聞くことが出来た。最初はみんな元気な顔をしていたのだが、2時間みっちり話をしたらみんなポツリポツリと自分の周りの話をしてくれた。県民の1%が亡くなったとか。自分の知り合い全員が無事という人は少ない。そうか、彼らは未だ被災者だ。仙台もまだ復興は始まったばかり。余震がない事を祈りながら、気を失うように寝る。
4.17 am8:00 ゆっくりと寝るつもりだったのだが、ふと目が覚めた。テレビをつけると東京ではもう見なくなった画面下L字の文字情報。仙台地区も未だ被災中。画面にふと目が止まった。
目に止まったのは給水情報。あ!俺、まだ水持ってる40リットル、、と飛び起きシャワーを浴び、車に乗り込む。海側へ向かい多賀城市に入るとピカピカにそびえる店舗看板が並ぶ。しかし店舗の一階部分は浸水している。ところどころに大破し放置された車。宛もなく来てみたが道路標識で’七ヶ浜’という地名に引き寄せられ車を走らせる。
pm9:30 七ヶ浜生涯学習センター到着。テレビでも給水所情報が出ていた場所だ。物資受付へ。「水を持ってきたのですが、、」という僕に「ありがとうございます。お願いします。」良かった。。。子供用下着、サラダ油1ケース、業務用豆腐、その他もろもろの救援物資も受け取っていただけた。ダメもとで持って行ったカレンダー12本も喜んでもらえた。最後に忘れてはいけない支援を。「もうじき桜咲きますので皆さんで飲んでください。」と缶ビール12本。
pm16:30 荷台が完全に空になった車で無事帰京。
最後に、
物資を届けながらこうして個人で救援物資を届けることへの限界と無力さを感じた。あまりある水を確保できている場所、まだまだ足りない場所。支援物資をこちらが予想しズバリと当てるのはギャンブルみたいなものだ。非効率的だ。刻々と変わる被災地からのオーダーをまとめ、的確かつ迅速かつ大規模な支援ができる団体を助けることが僕らができることではないだろうか。それは今のところ募金なんだと思う。しかし、まだ修復されず狭くなった仙台駅デッキには沢山の人が行き来し、東北自動車道はひっきりなしに今日も車は走る。少しづつ血は通い始めている。確実に。