[gtranslate]

裁判に行ってきた

どうしても許せないことがあったんだぜ~そんな訳で女性自身編集長を訴えることにしたのさ!

詳細は。

私は都内を中心に活動するアーティスト、ミック入来と申します。TBSの学校へ行こうにレギュラー出演したり人気アニメワンピースのキャラクターソングを歌ったりラグビーのテーマ曲を歌ったりしています。私の大切な友人で書道家の深津諭美子さんとは7~8年前あるパーティで知り合いました。彼女は女優深津絵里さんの母でもあります。パーティで歌った私のパフォーマンスを大変気に入ってくれた諭美子さんは私が歌い彼女が書を書くというコラボを提案。施設などで何回もやってきました。AKB48の人気メンバーと共演したこともありますし上海公演の約束もしていました。

そんな諭美子さんが昨年自分の誕生日に肺癌であることを告白。書道家としての活動を全うするために手術や抗がん剤治療はせずに自宅療法を選びました。諭美子さんは死を覚悟して生きようとしている。友人として私は何ができるか考えました。そうだ諭美子さんと彼女の書を少しでも世に出そう。それが私の使命だ。私は早速知り合いのメディアに連絡したところ女性自身の渡邊記者から取材をしたいとの連絡がきました。11月の初めに諭美子さんの自宅近くにある喫茶店で諭美子さんと渡邊記者、カメラマン、立ち会い人の私が集まりました。最初諭美子さんは「書道家深津諭美子としてはいくらでも話ができます。しかし娘の深津絵里の名前は絶対に出して欲しくない。癌の告白をしてから沢山の取材がきてるけど全部断りました。今回は仲良しのミックの紹介だから取り合えず会ってみようと思いました。」諭美子さんは大変プライドの高い人です。私もコラボする時は「こちらは世界的書道家の深津諭美子さんです。娘は女優の深津絵里さんです。」とあくまで諭美子さんを立てて紹介していた程です。渡邊記者は「諭美子さんの取材を掲載するには深津絵里さんの名前を避けては通れません。しかし娘さんの名前は最低限に押さえます。あくまで諭美子さんを中心に記事を書きます。それと原稿は事前にお見せします。諭美子さんが納得したら掲載します。」中々首をたてにふらない諭美子さんに渡邊記者と私は「お願いします。お願いします。」と何度も頭を下げました。ようやく諭美子さんは「わかりました。」と取材をOKしてくれたのです。

取材は実になごやかな雰囲気で始まりました。書道家としての諭美子さんの過去とこれから。特に印象に残っているのは「来年アメリカで個展を開きます。それが私の最後の仕事に成るでしょう。」あぁ諭美子さんは死を覚悟している。彼女はサムライだ。深く感動した私はその日のブログのタイトルに「サムライ深津諭美子」と書き込みました。諭美子さんも女性自身からの取材があったと彼女のブログに書き込みがありました。取材の後は近くの公園で写真を撮影しました。私が諭美子さんに貰った「信」(私の本名は信一郎)の書を持って撮影に応じた諭美子さんの笑顔は本当に美しかったです。やはり女性なんだなあ写真を撮られることが嬉しいんだろうなあと思いました。

女性自身発売当日の朝、渡邊記者から電話がきました。「すみません。記事が差し替えになりました。」週刊誌のことが良くわかっていない私は「いいんじゃないんですか掲載されるんなら」と答えました。すぐに諭美子さんに電話をしました。「おはようございます。何か記事の内容が変わるみたいです。」彼女は上機嫌で「ふ~ん、私今からでかけるから。後で電話するね。」結局これが私と諭美子さんの最後の会話になりました。

私は意気揚々と女性自身を買いにでかけました。諭美子さんと諭美子さんの書をメディアで紹介できるのです。やったぜミック。得意な気持ちになっていました。しかし女性自身の表紙を見て驚きました。そこには大見出しで「深津絵里余命3ヶ月私はまだ死ねない」左に「末期がん母が伝えた命の日記」と打たれていました。さらに記事を見ると深津絵里さんの写真が大きく使われ諭美子さんの写真は取材後に撮影した素晴らしい写真ではなくて全く別のまるで病人のような酷い写真が使われていました。深津絵里さんの写真は5枚使われ諭美子さんはたったの1枚でした。記事も「本誌は彼女に取材を申し込んだが実現にはいたらなかった。」と嘘を書かれていました。もちろん諭美子さんのインタビューは一切ありません。これでは私のやったことは諭美子さんの許可を取りに行っただけではありませんか。何よりも表紙や記事を見た諭美子さんは大変なショックを受けたと心配になった私はすぐに諭美子さんに何度も電話をかけましたが出てくれませんでした。結局朝の電話が諭美子さんとの最後の会話になりました。残念でなりません。

今年の1月にある芸能系パーティで渡邊記者に会いました。渡邊記者は私に「仕方がない仕方がない。」とまるで自分に言い聞かせるように呟やいていました。言われた私も仕方がないと思いました。メディアに文句を言っても仕方がないと。今思えば私は逃げていたのです。諭美子さんにはお詫びの手紙を送りましたが返事は返ってきませんでした。6月に諭美子さんは亡くなりました。暫くして私の友人が「こんな記事がサイトに上がっていたょ。」とアドレスを送ってくれました。そこには「闘病中の深津絵里の母を襲った非情な裏切り行為"非人間的行為を受け失望」
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10254849/
とありました。それは諭美子さんと親しい音楽家が諭美子さんに打ち明けられた話でした。諭美子さんが信頼している業界関係者(私)にA記者を紹介され取材をした。A記者は原稿も諭美子さんに見せると約束。取材はにこやかに行われたが発売直前に記事は差し替えられ諭美子さんは大変失望して人を信頼できなくなり家族や近親者以外会わなくなってしまった。と書いてありました。私は凄く嫌な気持ちになりましたが何も動くことはしませんでした。私の心は卑怯にもまだ逃げていたのです。

8月に私が大変お世話になっているMさんから電話がかかってきました。「ミック、深津さんのことが書かれたサイトを見たか?」「はい。見ました。」「ミックはあの記事を見て何も思わないのか?これは裁判にしてもいいくらいの話だぞ。これを証明できるのはミックしかいない。このままじゃ深津さんが余りにも浮かばれないょ!」「確かにその通りです。証明できるのは現場にいた自分しかいません。」Mさんから叱られた私は目が覚めました。このまま逃げてはいけない。卑劣な女性自身のやり方でいかに深く諭美子さんが傷ついたのか、たくさんの人に知って欲しくて私は知り合いのメディア関係者達に連絡してみましたが中々記事を掲載して貰えません。ある新聞の記者から「裁判をやるなら掲載してもいい」と言われました。よし、やるしかない。私は決断しました。諭美子さんも裁判を考えたのかもしれません。しかし娘に迷惑をかけたくなかったんでしょう。(正確に言うならアーティストである諭美子さんのプライドです。芸能人の絵里さんは意外と平気だと思います。)ならば娘さんとは何のかかわり合いもない私がやります。深津さんの無念を晴らすために。そして私と諭美子さんの友情を切り裂いた女性自身を許せません。発行部数を上げるためだけに記事を差し替えた女性自身にも今回のことを深く反省していただきたい。東京地方裁判所にて12月16日621号法廷にて10時15分から。原告は入木信一郎。被告は田邉浩二編集長。求めるものは謝罪広告にかかる費用です。ミック入来

ミックは日本ラグビーを応援します。

2019年日本で開催されるラグビーのワールドカップ、そして2020年に開催される東京オリンピックの会場で歌うことが目標です。夢は必ず叶う!

ミック入来 Try Try Try 3000人の大観衆の前で大熱唱!大熱演!: http://youtu.be/7-8XdUPLy2g

コメント (0件)

現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。

コメントする

Diamondo Blog イチオシ芸能ニュースもっと見る

ピックアップブロガーもっと見る

インタビュー特集もっと見る

 

ブロックンロール ミック入来プロフィール

プロフィール画像

ミック入来(みっくいりき)
生年月日:9月16日
出身地: 福岡県
特技:物まね
憧れの人:ミックジャガー

プロフィール詳細 »

読者になる

このブログの更新情報が届きます。

ブロックンロール ミック入来カレンダー

2015年12月
« 11月   1月 »
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

ブロックンロール ミック入来アーカイブス

ブロックンロール ミック入来カテゴリー

ブロックンロール ミック入来QRコード

ブログモバイル版

ブロックンロール ミック入来オフィシャルブログ
http://www.diamondblog.jp/
/official/mickiriki/