PRIDEデビュー戦でヴァンダレイ・シウバに
1RTKOで敗れた大山さんでしたが、
レフェリーストップのタイミングが早く見えた事もあり、
僕はもちろん、周りの期待はしぼんでいませんでした。
二ヶ月後、大山さんがPRIDE15で
ヴァリッジ・イズマイウと対戦する事が決まり、
僕も会場のさいたまスーパーアリーナに応援に行きました。
当時の僕は、イズマイウは元々柔術選手なので
大山さんが打撃で有利に立てるだろうと考えていましたが、
今思えば、大山さんは柔道&サンボ選手なので
とても相性が悪い相手だったのではないかと思います。
あのアメリカでの一撃KOのイメージが強すぎて、
(試合前の選手紹介VTRでも何度も流されていましたし)
僕は、そしてもしかしたら大山さん自身も大山さんが
打撃の選手なのだと思い込んでいる部分があったのかも知れません。
(思い込んではいなくとも、打撃で戦うことを
期待されている事は感じていたのではないでしょうか)
結果は2R、肩固めで絞め落とされての敗北。
幻想は、消えました。
同じ大学の一つ年上の先輩が大好きな格闘技で
連戦連勝を重ね、一気にスターダムに
駆け上がるかも知れない、との期待はしぼみました。
ファンとは残酷なもので、僕の気持ちは同じ日に同じ会場で
クイントン・ランペイジ・ジャクソンをやぶった桜庭和志選手や
華麗な寝技でゲーリー・グッドリッジをやぶり、
PRIDEデビューを飾ったアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに傾き、
ますます総合格闘技にのめり込むようになっていきました。
PRIDEのみならずパンクラスも生観戦に行くようになり、
(初めて生観戦したのは2001年9月30日の横浜文化体育館。
美濃輪育久選手(現ミノワマン)vs菊田早苗選手の
ライトヘビー級タイトルマッチをメインにした大会でした。
ここから美濃輪選手の大ファンになるのです)
月に2~3冊格闘技雑誌を購入していました。
試合後、大山さんの右目が
網膜剥離にかかっていた事も知らずに。
さらにつづく