12月6日(土)。
いつもお世話になっている大好きな格闘家、大山峻護選手の引退試合を応援にディファ有明まで行ってきました。
大山さんは僕と同じ国際武道大学の卒業生で、一つ年上の先輩になります。
ただ、学生時代には全く接点がありませんでした。
僕が初めて大山さんを知ったのは、2001年。
アメリカのKing Of The Cageで衝撃のKO勝利を飾った
日本人選手が横浜アリーナで開催されるPRIDE14でデビュー。
その選手が国際武道大学出身だというのを格闘技雑誌で見た時です。
対戦相手は前大会のPRIDE13でエース・桜庭和志選手にPRIDE初黒星をつけたばかりのヴァンダレイ・シウバ。
同大会には同じく国際武道大学出身の松井大二郎選手も出場するという事もあり、これは観戦にいかなくてはいけない!という事で、大崎電気オーソルの同じく国際武道大学出身の先輩と横浜アリーナまで応援に出かけたのが最初でした。
初めてのPRIDE生観戦。
華やかな演出や会場の熱気に驚き、応援していた松井選手が強豪のペレ選手をやぶるなど最高に盛り上がる中、「HEART OF ASIA(戦場のメリークリスマスのリミックスver)」と共に大山さんが登場しました。
誰もが「平成のエスペランサ(スペイン語で希望)」とのキャッチコピーをつけられたルックスの良い若者が桜庭選手をKOした憎きヴァンダレイを倒し、ニューヒーローとなることを期待していました。
しかし、結果は1R30秒。
ヴァンダレイ・シウバのパンチに背を向けたとされ、TKO負けに。
まだ戦えそうだと感じた観客からはブーイングが飛びました。
僕自身もレフェリーのストップが早いように見え、納得がいきませんでした。
しかし、実はこの時、大山さんは一ヶ月前に開催されたアメリカでの試合でフィリップ・ミラー選手にKOされており、本来であれば試合をすべき状態ではなかったのです。
(そう考えればあのタイミングでのストップは妥当だったと感じます)
ここから、大山さんが事ある毎に「これだけ周りの期待を裏切り続けてきた選手もいないだろう」という苦闘の道が始まりました。
つづく