加山雄三さんと光進丸!
驚きとショックでいっぱいです。
僕は趣味でクルーザーを所有しています。
実は加山さんの影響です。
単にファンと言うだけでなく、
加山さんの人柄や人生を僕の道しるべにしていたんです。
何度も挫折を味わいながら、不屈の精神で立ち直ったバイタリティは素晴らしいお手本になりました。
僕が加山さんを知ったのは、僕がまだ学生の時。
加山雄三の若大将シリーズが深夜映画館で上映されて大勢の若者が夢中になりました。
もちろん僕もその一人です。
なんでもこなす若大将に憧れて、加山さんの歌は全て暗記しました。
心を震わす名曲もたくさんあります。
初めて加山さんのライブを見たのは1973年に日本武道館でした。
映画のヒットで加山さんが復活した年です。
数々の歌を歌った後、「1973この年を僕は一生忘れません。」と言われたこと、今でも覚えています。
その後1978年に今回事故にあった「光進丸」が作られて、加山さんが伊豆七島までクルージングをする
「光進丸太平洋ど真ん中」と言うドキュメントがテレビで放映されました。
夢中で見た記憶があります。
その後の加山さんの歩みは順調でした。
事件と言えば、せいぜい お嬢さんが離婚したくらいかな。
今から15年ほど前になりますが、加山さんの事務所のスタッフさん方が僕のお客様でした。
ずっと来て頂いている中でスタッフの方から「うちの加山を自宅で観て欲しい」と申し出がありました
すごく嬉しかったのですが
お断りをしました。
僕の中で「加山雄三」と言うキャラクターがあまりにも偶像化されてしまい、
その「加山雄三」を目標に生きてきた自分が本人とお会いして偶像が壊れる事を恐れたせいです。
今思うと、お会いすれば良かった!
きっともっと好きになったと思います。
幼すぎたなー。
加山さん、今でもエネルギーに溢れた方です。
こんな素晴らしい方をいつまでも落ち込ますなど心が痛みます。
何か出来ることを考えます。
それにしても
船って燃えるんですよね。
コードが古くなってボロボロになるとスパークするんですよね。
そして引火性の物が火災を引き起こす!
2年ほど前に僕の船も火が出ました。
その時は偶然人がいて難を逃れたことがあります。
この点でも他人事とは思えなかったです。