父のこと。
以前、母の事は書いたので、次は父の事を思い出しながら書いてみます。
父は所謂、暴君でした。
言葉のまま、意味のまま、そういう人でした。
自分のルール以外は認めず、ルールから外れると力によって捩じ伏せ、意のままに動かしていました。
幼少期、自分が殴られる事は多々ありました。目の前で母が暴力を振るわれているのを泣きながら見ている事も頻繁にありました。幼い私に止める力はありませんでした。
常に聞こえる怒鳴り声、殴る音。そして自分が殴られる音。自分の泣き声に悲鳴。父の怒鳴り声。
怖くて怖くて仕方が無い存在。
それなのに、構ってくれる時はとことん構ってくれるから、悪い記憶を良い記憶へと塗り潰していくんです。綺麗な記憶へと変わってしまうんです。
これは母と父、どちらにも言えるのですが、どんなに嫌な思い出があっても、僅かな喜びや楽しさ、嬉しいという気持ちで良くなってしまうんです。大切な両親となってしまうんです。
至極、単純かもしれないけど、嬉しい楽しい記憶は何ものにも勝ります。
私にとって暴君であり、優しい父でもあった日々の中で、次第に父が変化していきまました。
仄暗い表情、仄暗い言葉、常と異なる行動…。これまでにない父の様子に、これはヤバイかもと察しがつきました。絶対にヤバイと思い母に伝えたりもしました。
母も何か思うところがあったのかもしれません。もう少ししたら、一緒に暮らしてもいいよ、と私に言う事が増えていたんです。
ですが、それから暫くして、突然の失踪からの自死へと繋がりました。
どうしてそうなってしまったのか、今だに考えます。
あと少し待っていてくれたらと思う時があります。
今となっては全て遅いのですが。
そんな晩年の父が言った、生まれ変わったら何になりたい…。
父は、鳥になりたいと言いました。鳥になればどこでも行ける。自由気ままだと。煩わしいものから離れて自由になれる、と。
その言葉の結末が自死でした。
まさかここに繋がるとは思いませんでした。暴君で気丈だった父が自ら命を手放すとは思いませんでした。
けど、何が起こるのか分からないのが人生なのですよね。
これも、起こりうると言えば起こりうるのでしょう。
自ら死を選んだ父。
人とのコミュニケーションが下手くそで、暴力でしか感情を伝えられなかった父。
生きずらかったのでしょう…と今なら理解できます。
ですが当時は何も理解できず、ただ泣くのは3日間だけと決めて、父の死の翌日から仕事にもどりました。
生まれ変わったら何になりたい…と父が問うた時に、父は私にひとつ謝ってきました。過去の事を謝ってきたんです。
謝ってきた事、生まれ変わったら何になりたいと問うた事…気付かなくてごめんね。そんな思いは今だに消えません。
生きることは選択肢の連続です。
その中で父は父なりの選択肢を選んだのでしょう。ならば、私は父の選択を認めるだけだと思っています。
生きづらさは簡単に変えられるものでも、払拭できるものでもないから。
父が亡くなって13年。
今だに亡くなった日が、7月以外思い出せません。
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