昔話
むかし
一人の男がいました
彼はとても繊細で
プライドも高く
人前で弱さを絶対見せない男でした
喧嘩も強く義理堅いが
群れずにひとりでいる事も多く
それは結婚し子供が生まれても変わらなかった。
この世を去ってから20年以上経ちます
彼が魂を宿した作品は今も私の隣にいる
私の浄霊師としての要であり戒めでもある。
誰もが死にたいと思う事があります
そうする事で楽になるとしか考えられなくなり迷路に迷うこともあるでしょう
誰が何を言っても聞く耳をもてない時もあります
どれだけ苦しさを訴えても変わらぬ現状への怒りで心の重石が増えていく事も。
私は、人は幸せになる為に生まれてくる訳ではないと感じています。
日々の苦をどう捉えたらそうでない生き方にできるか実践する為の肉体なのだと。
生まれた瞬間から表の五感で今日まであらゆる物事の結論を出す習慣は本音との不和を生み
「心」との大きな隔たりが長い年月をかけて今の意識となります。
「本当はそうしたほうが良い」と言う六番目の感性を迷わず選択できるなら
苦の元凶などに乱されなくなります。
お仏壇、神棚、祭壇が五感側の現世利益の場となることで
繋がっているはずの扉が閉められてしまった単なる家具の家が多い昨今
唱える文言よりもその時の意識の変化の意味を大切にしてください
横断歩道の前で合掌している人はいませんが神社仏閣では自然にできる意味
道端でごみをポイ捨てしても神社仏閣でしない理由。
物理的な五感とその中で作られた時間とルールに慣らされすぎ
「本当は分かっている」その選択で生きることが出来るか試されている
~たったそれだけなのです~
自分の苦は自分だけのもの
人には人の苦があります。
今が過去の清算なら
次の今の為の行動を今自らがしなければ
芽は変わりません。
一つの命が多くの意識を変化させるなら
悲しさの呪縛で縛るのではなく
次の意識への後押しとなるべきと
浄霊師として私はそう感じます。
合掌 浄霊師 神島千尋