【観るということ】について(2)
【観るということ】について(2)
観るってつまりどういうこと?
前回(1)のつづきです。
サッカーにおいて優れたパフォーマンスを発揮するにはどんな能力が必要だと思いますか。
意図したところにボールを止める蹴るといった基本的動作や、走る止まるターンする跳ぶ等といった運動能力が重要なことは言うまでもありませんね。
サッカーはよく
『判断のスポーツ』『決断のスポーツ』といわれます。
例えば体操やフィギアスケートのような採点競技ではなく、また陸上や水泳のようにタイムを競うこともありません。サッカーは常に目の前に相手がいることで、プレーする環境条件が絶えず複雑に変化するスポーツです。これを無視して自分のやりたいことだけをしても、効果的なプレーには繋がらないでしょう。つまりサッカーで高いパフォーマンスを発揮するには上記の能力に加えて、刻々と変化する環境条件を的確に分析、把握する力が必要になってきます。そしてそこからパスをするのかドリブルをするのかといった意思決定を瞬時に行いプレーを遂行しなければなりません。時間にすると秒単位あるいはもっと短い単位で目まぐるしく状況は変わるので、このあたりが判断・決断のスポーツと言われる所以ではないかと思われます。
よい状況判断がよいプレーを生む。
では、いつも有効な状況判断ができる選手とそうでない選手がいた場合、その違いはどこからくるのでしょうか。
詳細は割愛しますが学術的には(注1)
『状況判断にすぐれたオープンスキルの熟練者は豊富な量の知識をもっているだけでなく、高度に構造化された知識を記憶のなかにもっていると考えられる』
と述べられています。
※オープンスキルとは、サッカーやテニスやバスケットボールのように、環境が不安定で予測ができない状況下で発揮されるスキルのこと
サッカーとは違いますがプロの将棋棋士の方は何百手先を読めると聞いたことがあります。初心者の私はせいぜい5手先くらいでしょうか。
こんな面白い記事がありました。
中村憲剛選手のプレーを見ていると、どうしてそんな判断ができるの?と驚くことばかりです。
優れた選手は頭のなかのサッカーに関する知識が精密に高度に構造化されているのだと考えられます。
この記事では試合前の準備や試合開始直後の情報のアップデートといったところにも言及されてますね。(1)でお話した私の経験について話を戻すと、
観えていたはずなのに動き出すことができなかったのは、(その状況で)その知識がなかった、あったとしても瞬時に意思決定できるほど構造化されていなった、と考えられます。
→動き出せばチャンスになると予測・想像できなかった。
反対に、観えていないのに出せたパスについては、(その状況で)「こうすればこうなる」といったような構造化された知識があったから、だと考えられます。
→このタイミングでここにパスを送ればチャンスになると予測・想像できた。
中村憲剛選手ふうに言うと
『1枚の絵が見えた』ってことですね。
(さすが伝える言葉も違いますね)
《私たちは探し方を知っているものしか見る(観る)ことができない》
のです。
視覚的に観えていること(ハードウェア)はもちろん大事なのですが、いかにして状況を分析把握して意思決定するかといった認知スキル(ソフトウェア)が重要だということです。
『観るということ』についてさらに話しを戻しましょう。
以上のことから、観るとはすなわちよい判断をするために、どこをどう観るかといった『観る方法を知る』とも言えそうです。そして、『こういう時はこうなる、こうする』といった選択肢をどれだけ多く精密に持てるかといった頭の構造が鍵を握るといえそうです。
そうであれば、現場でコーチングをする際には具体的にどのようにすれば良いか、選手は何を意識すれば良いか。
次回はそのあたりについて考えてみようと思います。
(注1)中川昭(2000)状況判断能を養う.杉原隆・船越正康・他編著. スポーツ心理学の世界. 福村出版:東京, pp52-66.
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