LIFE OR LIFELESS(いのちか形か)
『いのちを締め出す形ではなく
いのちを感じさせるかたちから
学ぶといい』
形に慣れるのは簡単ではあるが、
其処に甘んじていると
型にはまった者になってしまう…
自然をめぐる春夏秋冬は、
形に支配されずに
いのちの豊かさを現している。
ギュスターヴ・クールベは、
「自然の中にこそ美がある。
それは現実的なものの上に
様々なかたちとなって見出される」
と語っている。
いのちによって生み出される
自然のかたちには違和感はない。
然れど、人が作り出す形は
いのちを締め出してしまう…
THE BIBLEには、
「大いなる存在は
天と地を創造された。
光よあれ…と仰せられると
光があった…」
とある。
大いなる方のことばの筆によって、
宇宙、また自然界は
描かれたのである。
芸術評論家の
小林秀雄(こばやしひでお)は、
「すぐれた芸術作品には
必ず言うに言われない
あるものが表現されていて、
これに対しては学問上の言語も
実生活上の言葉もなすところを知らず
僕らはやむなく口をつぐむのであるが
一方この沈黙は空虚ではなく、
感動に満ちあふれているから
何かを語ろうとする衝動を抑えがたく
しかも、口を開けば
嘘になるかもしれないという意識を
眠らせてはならない…」
と語っている。
美しい自然界の背後に
見えないサムシング・グレートを
感じさせられる様に、
絵の具と筆によって描かれた芸術作品は
言うに言われない「サムシング」、
すなわち、
「あるもの」を感じさせてくれる。
それは形に縛られない
解放されたいのちの本質を
感じさせられることでもある。
それは描いた
芸術家の存在がいなくなっても、
その魂は時空を越えて、
今も生きていることを
感じさせられるほどの不変性がある。
ことばの筆によって
自然界を描いた大いなる存在は、
魂のロッカーとなってこの世に来られ、
十字架に架かって
よみがえってくれたのである。
JESUSは、
「わたしが来たのは
あなたがいのちを得、
それを豊かに持つためです…」
と謳っている。
死にも支配されないいのちが
あなたに与えられていることを
忘れない様に…
今日という日があなたにとって、
いのちを感じられる日であります様に…
『見えるものの背後に
いのちがあるかないかを
感じとれる者であれ』
アーサー・ホーランド
2017.2.5
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