私心と、最後は私信です
大地震という極度の緊張状態に置かれたときの自分の反応から、
その特徴的資質と、それを活かした自分の進むべき道が見えたように思え、
それを契機にこれまでよりも物事をより深く考えるようになり、一人の時間は考えを練る大切な時間に。
その時間も全然足りないと思うくらいで、以前は一人でいる時間に屡感じることもあった猛烈な孤独感も今やなくなり、お一人様街道を更に驀進中。
しかし今の自分には、その考えた話を聞いてくれるだけでなく、
似たようなご自身の経験談を聞かせてくれながら共に考え、より良い答えを見つける為の、更に前に進む為のヒントをくれる、物凄い艱難辛苦を経験してこられた師がいる。
昨日今日と、その師と話し込み、物凄い量のヒントや考える材料を貰った。
そして時を同じくして、競技に於いても文字通り視界の開けるような出来事があり、
そこに先日の募金活動を経て自分の立ち位置を確認したことも重なって、毎日がこれまでにないくらいに濃く充実している。
師の言う様に、人生と仕事は繋がっていて共通点も多く、片方のレベルが上がると、もう片方のレベルも上がるのかも知れない。
パフォーマンスのレベルが一つ上がれば健康も幸福も1レベル上がる、精神・肉体・感情は深く繋がっているという、本で読んだ話は本当なんだと感じた。
今日は師に、今現在最大の思案の種について、恥ずかしい話も包み隠さずに話して相談すると、
その悩みに通ずる古事や動物界の話、それにご自身の経験談などを色々と聞かせてくれ、
そのお陰で見事なまでに揺るぎない、そしてこの先、同様の事が起きた際の対応の指針になるであろう答えが見付かり、こちらもまた一気に視界が晴れた。
似たような、これまでなかなか答えを見つけることが出来ないでいたことが嘘のように、パーッと視界が開けたような出来事が、あの大地震以降、他にもあり、
今は自分の中で物凄い化学反応、化学変化が起こっているような、そんな感覚だ。
2011年3月は、自分の人生の大きな分岐点になるに違いない。
といったそんな話を、ちっぽけな自己顕示欲丸出しでblogに書いてしまうのが今の自分。
そんなものもなくなり、喜怒哀楽何があっても感情を人に見せず悟られず、泰然自若としていられるようになったとき、俺にはどんなものが見えているんだろう。
果たして、そこに辿り着ける日は来るのだろうか。
辿り着けたとして、そのときに一緒にいてくれるのはどんな人なんだろう。
きっと変わらず一人なんだろうな……
最近はそんなことを考えている郷野ですが、
そうそう、Kねはら君からメール来たのに、そんなことばっか考えていて、なかなか返信できませんでした。
Kねはら君、返信遅くなってごめんなさい。今日メールするので夜露死苦!
郷野