『LAY BACK』(しばし 豊かさの中にひたれ)
「ひたり…とどまり…
想いにふけるひとときを忘れるな…」
しばし時を忘れ、
ありのままのあなたを受け入れ
「わたしの目にはあなたは高価で尊く、
わたしはあなたを愛している…」
と謳われたあわれみ深い存在に
ひたることである。
ひたるとは一つになることであり、
魂のロッカーは
「わたしはふどうの木であり、
あなたはその枝(えだ)です…
あなたがわたしにとどまり、
またわたしがあなたにとどまるなら、
あなたは多くの実を結(むす)びます…」
と語っている。
「ひたる」とは
「とどまる」ことでもある。
ダビデは
「主(大いなる方)は私を
緑(みどり)の牧場にふさせ…」
と謳っている。
「ひたる」とは
「とどまる」ことであり、
「ふす」ことでもある。
マルタは忙(いそが)しく
給仕(きゅうじ)し、
マリアはJESUSの
足もとに座(すわ)って、時を忘れて、
その話に聞き入っていた…
マルタはそのことに
嫉妬心(しっとしん)を覚え
「私を手伝う様に
マリアに言ってください…」
と愚痴(ぐち)るのです…
JESUSは
「マルタよ…
何故あなたは
心をわずらわせているのか…
マリアは一番大切なことを選んだのだ…
わたしはそれをマリアから
取り去りはしない…」
と忠告するのである。
「ひたる」とは「とどまる」ことであり、
「ふす」ことであり、
寄り添い、時を忘れて足もとに座って、
話に聞き「ふける」ことでもある。
THE BIBLEには
「愛は寛容(かんよう)であり、
愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず高慢になりません。
礼儀に反することをせず、
自分の利益(りえき)を求めず、
怒(いか)らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、
すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません…」
とある。
この愛の源(みなもと)なる方が
今日あなたに
「すべて疲(つか)れた人、
重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたを
休(やす)ませてあげます…」
と招(まね)いてくれている…
今日という日があなたにとって
魂が豊かになる日であります様に…
『ひたるとはとどまり、
ふせることであり、
またしばし、
寄り添(そ)い思いにふけ、
そこに休息することなのだ…』
アーサー・ホーランド
2019.7.24
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする