第3話 単純な僕。
上京物語 第3話
第2話の続きの《何故?田舎者の僕に根拠なき自信があったか?》の続きである。
②自信
親友の存在だと思う。
僕の中学校に引っ越して来た少年がいた。その名もT君。僕の親友。意気投合した心友。
T君とは、全ての歯車がかみ合った。
お互いに似てる所が沢山あったからだと思う。
2人の共通点
●2人とも身長が低かった。
●同級生と仲が良い様に見えたが、上手く溶け込めていなかった。
●見栄っ張りでカッコつけだった。
●同じ音楽を聞いて興奮してた。
●バンドマンに憧れていた。(ビジュアル系)
●女の子にめちゃめちゃ興味があった。
●何よりも笑いのツボが同じだったのが一番かもしれない。
いつも、本当に笑い転げていた。
僕の冗談にいつも、『ヒロト面白すぎる!』といつも言ってくれた。
カラオケに言ってもいつも『才能がある!』と言ってくれた。
彼の褒め言葉は、いつも世界を味方にした気持ちになった。
いや、世界を敵にまわしてもいいとさえ感じていた。
彼は同級生の誰よりもませていて、いつも僕より半歩先の色んな事を経験していた。
ん?結果的には3歩ぐらい先だったのかな〜??
それは、学校では教えてくれないこと。
先生が教えてくれないこと。
音楽はカッコいいと教えてくれたのも彼。
バンドマンはイケてると感じさせてくれたのも彼。
女の子とは何者なのか?
も色々と教えてくれた。
女の子との接し方。
手紙のやり取りの仕方。
女の子が喜ぶ方法。
そして、彼が早々と女性を相手に経験していたキスやそれ以上の事も教えてくれた。
僕は親や先生には聞けない恥ずかしい沢山の質問をした。
彼はいつも明確に正確に教科書に載ってない事を教えてくれた。
僕はいつも彼の話に
『そうなの⁉︎』とか、
『まじっすか⁉︎』とか
鼻息荒く真剣に聞いたり。
『すげ〜〜、いやっほーい!』と
新たな世界をイメージして興奮しながら叫んでいた。
思春期真っ盛りに突入していた僕には、彼の話を。
いや、同級生の先生(T君)の話を授業よりも真剣に聞いていた。
授業だと眠たくなるのに、彼の話は徹夜してでもしっかりと一語一句聞き逃さずに聞けた!
分かりやすく言うと今でいう瀬戸内寂聴先生ぐらいの存在だったかもしれない。
彼がいてさえくれれば、僕は夢を叶える事もチャンスをつかむ事も出来ると短絡的に思わずほどに彼の存在は大きかった。
彼の事を誰よりも信じきっていた。
いつか、彼と卒業した中学校の”講堂”にこっそりと入った事を思い出す。
17.18歳ぐらいだったと思うが。
ちなみに僕の中学校は田舎だったので体育館はもちろんない。
小さな古びた味のある講堂があっただけである。
講堂を知らない方は終戦後すぐなどの学校の写真などに学生が古びた建物の中に写ってるイメージをしてくれればいいと思う。
バスケ部しかないのに体育館がない?
答えは簡単である。
外でしかバスケはやらない。
試合の時だけ、バスケットシューズを履く事もあって、最初の頃は運動靴でしか練習しない僕らには違和感しかなかった。
途中からバスケットシューズを履いて外でも練習したが、バスケを経験した事がある人はお分かりだと思うが体育館の感じと外のグラウンドではストップやターン足裏の感じ方が全く違う。
でも、僕の中学校はバスケ部は実は市内では結構強かった。
ハングリー精神がすごかったんだと思う。
要は、僕が活躍出来なかった理由を体育館のせいにしてるだけである。。。可能性大。
話を戻そう。
彼とこっそりと講堂に入り当時のラジカセでカセットテープを音量大にしてBOOWYを熱唱した。
講堂の小さいステージに立って誰もお客はいない中で、彼はベーシスト、僕はボーカルでバンドマンになって沢山のファンがいる様に唄った。
対して声量が無かった僕の声も小さな静まり返った講堂では声がよく響いた。
T君は覚えているだろうか?
まるで、夢が一瞬にして叶ったかの様に。
その時に歌を録音をしていて自分の生の歌声を初めて聞いた。。。
僕は自分のあまりの音痴に実は凹んだ。
自分の声がこんなにも幼稚だとは思っていなかった。
彼も気づいてなかったが、2人で聞いた時に僕はこっそり涙ぐんでいた。
何よりも想像をはるかに超えて驚くほどに下手だった。。。
でも、彼はいつもの様に
『ヒロトには才能がある!』と言ってくれた。
僕は単純なので、すぐに有頂天になり彼の言葉を絶対的に信じた。
僕たちは中学校を卒業した後も別々の高校に通ったが、それでも学校以外の時間で会える時は会って相変わらずにくだらないことで笑い転げていた。
同じ夢を持っていたので、僕は高校を卒業してからT君の紹介で同じ仕事をした。
T君の父親の勤務先の配管工だった。
配管工とは、配管を切ったり、鉄をサンダーで削ったり、鉄と鉄をくっつける溶接したり。
小さな配管から、人が何人も通れる様なすごく大きな配管の作業までやった。
時に大阪の方にいってまで長期の出張もあり、寮生活もした。
配管工以外にも鳶の仕事の様な事もしなければいけなかった。
高い所は苦手だったがら、そんな事が通用する訳も無く足場を作ったりもしたし、時に金槌や釘を使って大工の様な事もした。
そう言えば大きな建物のペンキを一日中塗る作業なんかもした事もあった。
格好は頭にいつも白いタオルにヘルメット。腰には安全帯。
寅壱のにっかぽっかに足袋を履いたり、安全靴を履いたりしてた。
親方は『仕事が出来ないからこそ、格好はビシッと決めろ!』
と教えてくれた。
ちなみに、ジンセイプロの社長も同じ事を最初に教えてくれた。
『お客様の前に立つ時は、新人だろうがベテランだろうがお客様には関係ない。パフォーマンスがまだまだ未熟なんだから、格好だけはしっかりとしてステージに立ちなさい!』
と言われた。親方と社長の共通点。
見た目は全く違うが…。。。
親方は見た目から怖そう。
社長は見た目は面白い人。
。。。
今思うと、配管工の仕事は後にも先にも一番キツイ仕事だったかもしれない。
炎天下でも少々の雨でも作業はやったし、炎天下の配管作業は脱水症状に近い様な状態になりフラフラした事もあった。
それでも、自分なりに休まずに頑張った。
大きな現場の勤務先だと、色んな業者が作業していて怖いお兄さんや強いおじさんがよく喧嘩をしていた。
普通の一般の方も沢山いるが、若い頃に相当ヤンチャしていた元ヤンキーの総長とか、警察に長らくお世話になっていた大人もいて僕はその中で育てられた。
人は環境によって変わると言うがそのせいもあり、僕もT君も他の業者と喧嘩をした事もあるぐらいだった。
ある日、寮生活でT君がギターを部屋で奏でている時に元々、反社会的な事をされていた経験があるおじさんが酔っぱらって部屋に突然入ってきて
『俺ギター弾けるよ!』って言ってギターを持って弾こうとした。
『あれっ??俺指が無くなったからコード押さえるの無理だ!』っと笑いながら言った時は、リアクションにめちゃめちゃ困った。
僕は自分でも気づかない間に正座をしていて
、必死に半笑いの表情を作った記憶がある。
そう言えば現場先で出会った元ヤンキーの総長の話もえぐかった。のを思い出す。
僕たちの事は可愛がってくれたから良かったけど。苦笑
仕事では親方にめちゃめちゃ本当にしごかれた。
親方(T君の親父)は配管工の腕前は超一流だった。
本当に職人であり、周りの仲間や同業者も誰もがその実力を認めていた。
仕事ぶりはとにかく細かく、判断も誰よりも早く、他の人が1日かけてやる作業を半日で終わらす様な人だった。
その人は自分にも厳しい分僕らにも、鬼厳しかった。。。
本当の親父以外に一番、愛の鞭を受けた。
仕事に妥協は絶対に許さなかった。
やれと言われたことが僕らが時間内に出来なかったら昼食抜きもあった。
真剣な作業をやっている時に僕らが少しでもふざけたら、マジでど突かれた。
もちろん、僕らの現場先では仕事で大怪我をしたり亡くなった方もいたから怒られて当然だった。
僕らの為の愛の鞭だった。
初めての社会経験だった18歳の僕らはまだまだ大人のふりしたガキだったからなぁ〜。
にしても、怖かったなぁ〜〜。
親方の機嫌が悪い時は雨に打たれた子犬の様に震えていた日もあった。笑
作業では親方の言うとおりに出来ない事もあり悔し涙を何度も流した。
僕は配管工を通じて未熟さを思い知らされた。
親方が簡単に出来ることを僕は何時間やっても出来なかった経験は本当にある意味僕の人生の財産になった。
仕事をなめるな!!と心から学ばしてくれ、教えてくれた。
親方に怒られて凹んでいるといつもT君は笑いながら励ましてくれた。
T君は高校を中退していたので、配管工としては先輩だった。
『俺も最初はその作業出来なかった。』と言ってくれた。
僕はこの配管工で最初の厳しさを学んだ。
結果的に東京で何の仕事をしても、これ以上にキツイ仕事もなかったし、親方ほどに厳しい人もいなかった。
だから、東京での仕事やバイトは何でもやってこれた。
親方にも本当に感謝している。m(_ _)m
親方は仕事以外の時はT君の父親としてもちろん優しかったのも覚えている。
そのギャップに戸惑いもあったが。
T君とはいつも仕事が終わっても一緒にいた。
車の免許を2人とも持っていたのでドライブしながら熱唱したり、夜遅くまで女の子と遊んだりもしていた。
本当に子供から大人になる時をT君と過ごした。
…
ただ。
今はT君とは連絡を取っていない。
同じ夢を持っていた2人。
僕は先に配管工の仕事を辞め上京した。
その3ヶ月後にT君も上京してきた。
その後は、ケンカが絶えなくなってしまった。
東京の街に歩幅を合わすことに2人とも必死ですごくストレスを感じていた。
田舎者が背伸びをする毎日。
その状況でお互いに気遣いが出来なくなってしまった。
そして、T君は僕以上に東京の街に馴染めなかった様に思う。
そんな中、彼は突然、ある日突然。
帰郷した。
喧嘩をした翌日にいなくなった。
彼は手紙を残していた。
内容は『僕に対する謝罪と東京に馴染めなかった』と書いてあった。
荷物を全て残して。
あんなにも同じ時間と同じ空間を過ごしたのに。。。
彼とは、その後に一回だけ電話で話した。
彼は
『とりあえず、残した荷物を送って。』
『…また、改めて上京するよ。』
って言って、僕が荷物を彼の実家に送ると音信不通になった。
今だに具体的には理由は分からない。
彼の本当の気持ちは今だに分からない。
でも、僕自身に問題があったのも間違いなくあったと思う。
傷つけてしまったんだと思う。
僕に自信をつけてくれたT君は今頃元気にやっているのか〜?
本当にT君にも、心から感謝をしている。
また、いつか出来ることならお酒を飲みたい。
…。少し暗い話しになりましたがf^_^;)
え〜〜っと?要するに
◎結論
子供から大人に切り替わる時期にT君に励まされ大きな自信をつけてもらった。
僕にとってかなりキツイ仕事を一生懸命に頑張った。
つづく。
※T君に出会った頃の僕。