2016年は金ヶ崎撤収戦でした。
おはようございます。
12月30日。晦日。金曜日。
今日の東京地方は晴れ。
最高気温は10℃、最低気温は2℃予想です。
今朝は久しぶりにゆっくり寝ました。
会社としては昨日が仕事納め。
昼前に起きて太陽の下、ゆっくりゆっくり40分間ジョギングしてきました。
ジョギングを再開してから体調が戻ってきています。
やはり運動は大切ですね。
運動をすると体力が漲ってきます。
いよいよ今年も晦日となりました。
あと2日。
今年は、本当に厳しい1年でした。
私的には1570年の「金ケ崎の撤収戦」だと思っています。
金ヶ崎の撤収戦は戦国時代の1570年(元亀元年)に起きた、
織田信長と朝倉義景との戦闘の事です。
戦国史上有名な織田信長の撤退戦です。
織田信長が越前の朝倉義景を攻撃したところ、
妹婿の小谷城(琵琶湖東岸)の浅井家の裏切りにあい、
挟撃の危機に瀕したため、
木下藤吉郎と信長の同盟軍の徳川家康が後衛となって、
信長本隊が信長勢力地まで帰還するのを援護した戦いを指します。
敦賀口における金ヶ崎城(敦賀市)攻略自体はすでに成功していましたが、
浅井家離反の情報を受けて、
おおよそこの地で信長軍の撤退が始まりました。
木下藤吉郎の殿軍は最初にこの地を拠点にして撤退戦を行いました。
(一部Wikipediaより)
昨年の今頃は、おにぎり屋さん一色でしたが、
人財的な問題が勃発。
今年の6月末には撤退しました。
その後も撤収に時間がかかり店舗を売却できたのが
9月末。
今年の前半は、私も店員として店舗で働きました。
寝る時間がないなど体力的にも消耗しました。
後半は、フードアナリスト事業と新規事業の立ち上げで
出張と研究会、企画、営業に奔走。
毎日深夜まで資料を作っていました。
信長は金ケ崎の撤収戦で秀吉や家康の献身もあり、
無事に京都に落ちのびる事ができます。
従者は10数人にまで減っていたそうです。
信長の天下統一は、京都に戻った時に覚悟が決まり
後に天下を取る秀吉や家康はこの時の献身があったから
天下を取れたのだと思います。
信長も秀吉も家康も命すれすれ。
この時に矢玉に当たっていればその後はもちろんありません。
特に秀吉のその後はこの金ケ崎で決まったと言って良いくらい大きな転換点となりました。
(家康の名を挙げたのは「三方が原の撤退戦」です。)
どちらも負け戦がその後の人生の転機となっています。
今年2016年は私にとって金ケ崎でした。
まだまだ大きな問題も多く2017年を迎えますが、
新しい成長の萌芽を一生懸命立ち上げての年越しとなった事は
明るい兆しです。
来年は反転攻勢に出る事が出来るように
この年末も準備を油断なきよう頑張ります。
忙しい日が続きますが、
忙しい日が過ごせる幸せを感じながら戦いたいと思います。
皆様、良い年末を!
最近の画像つき記事