インターネットは誰かを幸せにした
インターネットは人を幸せにしたのだろうかという答えのわかりきった議題をよく耳にし、文字として目にする
全てのモノに言えることだろうけれど、何かが存在することは誰かは幸せになり、誰かが傷つく
インターネットもそうだ
インターネットで幸せになった人もいるし不幸になった人もいる
新しいコンテンツというものはどうしても悪い情報ばかり出回るもので、インターネットにはまだまだマイナスイメージが多い
本のせいで不幸になった人もごまんといるだろうに
今日はインターネットで、いわゆる「叩かれがち」なものについて書いていこうと思う
◎その1◎
自撮り
インターネットにおいて自撮りはすげー嫌われる
頬に手を添えたり加工をしたり、写りのいいものを厳選して選んでのせると更に叩かれる
進化系としては足元の写真も叱られる
何故、自分を撮ることがいけないのか?
許可なく第三者を撮ってインターネットにあげるのは確かによくないことだ
しかし自分のみなのでそこはOK
写りのいいものを選ぶ、ていうのは写真を選ぶときに当たり前のことでわざわざ小汚い格好のものを選ぶ方が不快感があるような気もする
私自身、人の自撮りをみても何も思わないしそもそも見ることが好きだ
自分の好きな芸能人でも、知り合いでも
人のことに私はとても興味がある
人が何を考えどう自分と違うのか、その人が何を好きで何を嫌いか、誰のことでも知るのが好きだ
私はというと元々、バンドをやるまで自撮りをすることはなかった
バンドをやっていなかったら今でもしていない
写真が苦手なのだ
でもバンドをしていると、こんなペーペーな私でも何かと写真が必要なことがある
そんなこんなでデータフォルダに自分の顔があると、シンプルな顔だなと思う
私自身が叩かれることは別にいい
なぜなら叩かれたほうがパンクバンドをやってる身だから嬉しいしおいしい
私は世間と逆のことをしたいという、さぶいアナログ人間なのだ
でも、他の人が何か言われてるのをみると傷つく
綺麗事じゃなくて本当に
楽しい思い出をビリビリに破かれているような気持ちになる
関係ない私が傷つくんだから、言われている本人はきっともっとかなしい
色々な意見はあるかもしれないけれど、言葉はいつだって鋭い武器になる
自分が思っている以上に色々な人を傷つけることもあると思う
◎その2◎
難しい思想のツイート
政治や時事ネタ、難しいことをちょっと長めにツイートしたあとに
オムライスおぃしぃ♪
みたいにツイートすると、
例えばめちゃめちゃ怒られることがある
片手間に偉そうに
というふうに
人間は色々な感情、思想をもって生きている
「戦争は嫌だ」
と真剣に思う気持ちもあれば同時に「おなかすいた今日なに食べよう」
と考えるついでに
「新発売の本がほしい」
と考えたりする
同時にいくつもの感情や考えをもっているから時にややこしい
それらを全部口にすると確かにハイパーまとまりない感じになって、ふざけてんのか?となるが別にふざけているわけではなく本当の気持ちなのだ
でも言葉になると難しいもので、自分の気持ちをなるべくちゃんと伝えたいときは正しい言葉と、正しいやり方で伝えないと誤解されてしまうのも仕方がないことなのだ
私は今まで1000回くらい言葉がなければいいと思った
人間もサル、あるいはゴリラみたいにただウホウホ言ってるだけだったらどんなによかっただろう
(きっと私がわからないだけで、あのウホウホにはゴリラなりの意味がある)
真面目なツイート自体なんか言われることもあるね
ポエマーとかさ
人間だれしもポエマーだろ
いつも頭でブツクサなんかしら考えてるんだからさ
私は、こうして時々ブツクサと長い文章を書いて、もしくは考えて安心する
〜〜〜区切り線〜〜〜
インターネットを通じてわたしは、いろんな人と仲良くなった
それはお客さんであったり、友達であったり、疎遠になっていた知り合いだったり
きっかけをもらえた
私は幸せになれたと思う
これから先の未来で、もしかしたらなんかしらで大炎上して嫌われることはあるかもしれないけれど笑
それでもこうして自分の気持ちをかけたりする場所があって幸せだと思う
だから古き良き時代ってやつを知る人よ
そんなにインターネットを嫌わないでおくれ
古き良きインターネットを知る人よ
そんなに新しいネット文化を頭ごなしに嫌わないでおくれ
おやすみなさい
◎ねくすとおライブ◎
2/4 渋谷ミルキーウェイ
◎ねくすとワンマンライブ◎
4/3 下北沢モザイク