京都のころ
おはようございます。
12月7日。水曜日。
今日の東京地方は曇り。時々晴れ。
最高気温は11℃、最低気温は5℃予想です。
昨夜は証券時代の先輩や同僚と錦糸町で
ちゃんこ鍋忘年会でした。
上場企業の監査役や顧問や外資系大手証券のディレクターなど
錚々たるメンバーになっていました。
大手証券会社でしたので、
皆、色んな部署や支店を経験してもう一番若い方でアラフィフ。
上司や先輩は70近い年となりましたが、
サラリーマン人生で一番輝いていて思い出深いのが
25年前の京都支店だそうです。
40年以上低迷が続き動かない不沈空母と言われた京都支店が
全国ナンバーワン支店に生まれ変わった瞬間に私たちはいました。
原動力になったのが私たちで
間違いなく中心は私の営業戦略であり営業推進でした。
京都支店の躍進はやがて各支店に波及し
数年後には会社の営業方針さえも転換する
一大ムーブメントになりました。
あの頃の事を思い出すと
苦しくて辛い事ばかりでしたが、
今でも胸が躍るような興奮があります。
朝は7時に出社して深夜10時、11時まで働き
土日も早朝の6時に出かけて出張先のクルマの中で宿泊し
日曜日の深夜に帰ってくる毎日。
今の電通の過重労働なんて甘く感じるくらい働きました。
何を言ってるのかわからない上司に殴られ怒鳴られ続け
理不尽に耐え続けた毎日でした。
私は入社した時から
その会社の社長になるものだと普通に思っていました。(笑)
私より優秀な社員はいない、と今考えたら恥ずかしくなるような自信がありました。
苦学して大学を卒業した私は、
親のお金でぬくぬくと育ってきたお坊ちゃまには絶対負けないし
負けるわけがない、と思っていました。(笑)
生意気でしたから特に虐められました。
当時の日本のエリート教育は、怒鳴る蹴る殴る、でした。
私もよく殴られました。
殴られても、私が大学時代に経験した仕事に比べたら
凄惨さが違いましたので全然耐えられました。
耐えられてそのプレッシャーに負けないで
そしてそこから新しい戦略や戦術、戦闘方法を考えついて
たった1人で流れを変えらる奴だけがエリートとなる。
と私は信じていました。
1000人に1人もいませんでしたが
間違いなく
その1人に自分はあの頃は成れたつもりでいました。
京都支店には奇跡が起こりました。
その瞬間に私は間違いなくいました。
詳しいことは時間がありませんのでこのコラムでは書きませんが、
また機会があれば詳しくお話したいと思います。
それでは。
今日も明るく元気に前向きに。
全力で頑張りましょう!
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