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39

 

昭和45年7月9日に、 この世に産み落とされました。 記憶にはありませんが、 母胎からから外に出て、 初の肺呼吸をしたときに、大きな産声を上げました。 実に、 39年前の今日であります。日本は経済大国になり、 大阪では万博が開かれて、全人口の半分以上が訪れたといいます。 うちの両親は、 三人目の僕を授かったとき、向島という町からから葛西に引っ越し、独立して借金で工場を経営し始めました。 朝から晩まで、 工場の2階で寝ていた僕は、ガタンゴトンとうるさいはずの機械の音と、職人さんが大音量で聴いていたラジオの声を子守唄にしていました。 たぶん、記憶が確かなら、文化放送だったと思います。三歳のときにはもう、 ♪文化放送、文化放送 JOQR♪ というジングルを口ずさむようになってましたから。 2階で僕を寝かして、 ひたすら重労働をしていた両親。 ある日、僕は、目が覚めて寂しくなり、ハイハイしながら階段を降りようとしたらしく、見事に真っ逆さまに落ちました。 右目の眉あたりを切り、 数針を縫いました。 今、その場所から眉毛は生えません。 メイクさんは、必ず最後にその禿げた眉を塗って、メイクの仕上げにします。 苦労しまくったお袋は、 「オカンが、お前たちを大きくするために、ようさん働いたという証拠や。傷を見るたびに思い出せ」 と言いいます。だから、仕事で鏡の前に座るとき、必ず両親の苦労を思い出し、気合いが入ります。 よく考えれば、 うちの家族で、僕が1番熱くないくらい、熱い家族に育ちました。 何はともあれ、 いろいろあって気がつけば、今年から文化放送で喋ってる自分がいるわけで、人生って懸命に生きてれば、面白いことをたまに経験させてくれるんだなあ、と。だから、とにかく生きてみなくちゃ始まらないんだなあと、つくづく思うのです。 そんな中で、いくつものサンキューを識(し)る。 僕は、それを改めて振り返る歳、39になりました。 振り返ったら、また前を向いて走り出しますが。 ファンに。 両親に。 家族に。 素敵なケーキを作って、ささやかなパーティーをしてくれた、ムッシュ村上、コンフィの毛利社長、編集部町田と清野さん、代理店の飯田社長、林さん、マネージャーにAD、、、 サンキュー(v^-゜) ありがとう(^人^) まだまだやりますよ! たかが、39っすからo(^-^)o





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三四六(ミュージシャン、タレント)プロフィール

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三四六(さんしろう)
身長:167cm
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