仕事の流儀
戦場のカメラマンは、命を危険にさらすのと引き換えに、起きたことを世界に伝える。だから撮影する「位置」はプロ魂の発露でもあるそうだ。(中略)たとえば兵士が伏せている銃撃戦を自分は立って撮っている。
これは今日付けの朝日新聞「天声人語」の一部なんだけど、こうやって文字通り、命を懸けて自分の仕事に取り組んでいるプロフェッショナルの話を聞くと、心が熱くなり、涙腺が緩む。そしてそんな人間が命を落としたというニュースを聞くことは非常に残念で、でも、そんな人間の存在を俺たちが知るのは、その人間が命を落とした後、それを報じるニュースによって、ということが殆どだ。
俺の職業を「命懸けだよね」と言ってくれる人もいるけど、こういう戦場カメラマンや、それに兵士といった、本当に死と隣り合わせの職業の人たちに比べたら、危なくなったらレフェリーが止めに入り、リング下で待機しているドクターがすぐに上がってきてくれる格闘家という職業を命懸けだなんて、俺はとてもじゃないけど思えない。本当の命懸けの職業に就いている人たちに申し訳ないし、恥ずかしい。
でも、命懸けではないけれど、常に命を削ることはしなくてはいけない職業だと思っている。
生物はその一生での心臓の鼓動の回数というものは決まっており、その中で寿命を伸ばすには、摂取カロリーと消費カロリーの両方を出来るだけ抑えることである(=長生きをしたいのであれば、暴飲暴食や脈拍が極端に上がるようなことは控えたほうがよい)
なんて話を何かの記事で目にしたことがあったけど、今、心の底から大好きだと思える競技を生業とすることが出来ている俺は、例え心臓を酷使して寿命を縮めることになろうとも、引退後の健康を損なう可能性があろうとも、試合のあるなしに関わらず常にハードトレーニングを積み、格闘技選手としての自己を研鑽していきたい。
そんな気持ちで競技に取り組むことが、今の自分を自分足らしめてくれている大好きな競技に対する、自分なりの敬意の表し方であり、
そして人生の大切な時間と、この不況の中、大変な思いをして稼いだ大切なお金を使って試合を観てくれる、観に来てくれる人たちへの礼儀であると、俺は思っている。
それが、今の俺の『プロフェッショナル』としての仕事の流儀かも知れない。
今日の更新は文章がちょっと固かったけど、最近のニュースや自分のblog記事をきっかけに、ここ何年か自分の中でずっと考えていたことを具体的に文字で表現することができて、なんだかとてもスッキリしました。今日はこれを書くのに1時間以上もパソコンの前に座っていたけど、その時間が勿体無かったなんて全く思わない、良い時間でした。
『KamiproMove』でのコラム連載も終わったし、時間と気分(笑)が許せば、たまにはこんなコラム的なものも書いていきたいですね。
そしてこうやって自分の考えをblogで活字にして発信することができるのも、例えその更新が滞ろうともいつも気に掛けてくれている皆さん、コメントをくれる皆さんのお陰です。有難う御座います。感謝感謝です。