2014年4月23日(水)
いまブラジルは、4月23日の午後11時過ぎ。
20年前の今日、1994年4月23日、長崎で行われた「トーナメント・オブ・J」という大会で、俺は初めて総合格闘技の試合をしました。
あれから20年…
その前の月に高校を卒業したばかり(俺は高校1年生を2回やったから、高校を卒業したのは同い年の人間より1年遅い1994年4月だった)の、格闘技歴もまだ1年に満たない、素人に毛が生えた程度の選手だった俺は、その試合で2分と持たずに一本負けを喫し、
そんなん当然っちゃ当然なのに、いっちょ前に物凄く凹んで帰京して、
あぁ、俺には格闘技の素質なんて無いのかなぁ……
なんて思い、それから暫くは練習から足が遠のいてしまったものでした。
そんな、身の程知らずにも程がある勘違い小僧だった俺も、
色んな方に支えられ、20年も格闘技選手として過ごしてくることができました。
これまでに、様々な形で格闘技選手としての自分と関わりを持って下さった皆様、本当にどうも有難う御座います。
マリアナ海溝よりも深い、心の底から感謝しております。
しかし、そんな素人に毛が生えた程度の選手を、交通費とファイトマネーを払ってまで使ってくれる大会があったなんて、今となっては信じられないな。
時代ですね。
そんな時代から始まった、20年に渡る格闘技選手生活。
その締めくくりになるハズだった、2010年からの4年間。
本当に、後悔してもし切れない大きな失敗を複数、同時に犯してしまい、そのせいで、それまでに格闘技選手として築いてきたもの全てを失ったと言っても過言ではないくらいの、絵に描いたような凋落pっぷりを演じてしまった。
本当に色んなことがありました。
その殆どが、思い出したくもないものばかりで、
でも機会があったら、しっかり思い出して、俺の十八番、読むのも疲れるような長文で書くこともあるかと思うけど、
その最後の最後に縁が待っていて、その縁を頼り、
失ったもの、失った4年間を少しでも取り戻せるのではないかという希望を胸に、
今、こうしてブラジルに来ています。
なので最初から、出稽古的な感覚で来ているのではなく、
こちらの所属選手になるつもりで来たんだよね。
だから最初の一ヶ月、どんなにツラくても、どんなに何もかもが上手く行かなくても、日本に帰るという選択肢は俺にはなかった。
もう日本には、格闘技選手としての俺の居場所は無くなってしまい、格闘技を続けたいならここでやるしかない、ここでダメだったらもう終わりだと思って来たから。
そしてその一ヶ月を乗り越え、ここでの生活や練習にも慣れ、言葉も少しずつ喋れるようになってきて皆とも仲良くなって、日に日に練習の質も上がってきて、居心地も良くなってきて、やって行けそうな手応えビンビンに。
そうして迎える、来週の木曜、5月1日に、ここ、ブラジルはグラマドで行われる試合から、自分は Oxy Gym Fight Team の所属選手として活動して行くことになりました。
大会プロモーターやジムオーナーのお力添えもあり、ビザの問題も大丈夫なので、基本的には、ここに住んで残りの選手生活を送って行くつもり。
郷野聡寛、格闘技選手生活20年目の決断だぜ……
とは言っても、ここはブラジル。
どうも日本人の俺には理解出来ないような事も平気で起きる国のようなので、そんな俺の20年目の決断が覆されるようなハプニングが起きることも想定の範囲内から消し切ることは出来ないんだけど、
俺をここに呼んでくれた恩人、アンドレ・ベンケイAndre Benkeiや、OXYGYM Fight Teamの仲間たちと、どこまでやれるか、精一杯頑張ってみたいと思います。
でもそうなると、ブラジルからの交通費はめっちゃ掛かるし、この4年間の大失敗で全てを失った今の俺は間違いなく、そこまでして使いたいと思って貰えるような選手ではないから、この先、日本で試合をする機会があるかどうかは分からないけど、
交通費を出してでも郷野を使いたいと、日本のプロモーターの方に思って頂ける日が来るよう、頑張って行く所存です。
今日もまた、相も変わらずな、読むのも疲れる長文になり、大変恐縮ですが、
郷野聡寛、格闘技選手生活20年目の決断のご報告でした。
今後とも、夜露死苦押ねがい致しま忍。
頑張ります!
Eu vou fazer esforços!
2014年4月23日
郷野聡寛