言葉の垂れ流しです。
*去年の写真だよ*
いつだって脳内では言葉達が浮遊していて今か今かと出番を待っているから、だから考える。
そして出来上がったパズルに閉じ込められた過去の記憶に手を伸ばし、思い付くままに引っ張り出してはあの日あの時の感情を今の気持ちと当て嵌めてみる。
起こってしまった出来事。形成されなかった人間関係。流れ落ちたままの時間と言葉。ようやっと理解できたあの人やこの人の行動や言葉に秘められた意味。諦めてしまった私の感情。
これまで置かれてきた環境や生きてきた道筋がどうにもこうにも特殊だったみたいで、そこから形成される人格や元々の性格が相俟って「よくわからない人」とよく言われる。
馬鹿なのか馬鹿じゃないのか、短絡的思考なのか内省的思考なのか、思慮深いのか思慮浅いのか、病んでいるのか病んでいないのか、メンタルが強いのか弱いのか、社交的なのか内向的なのか…。ここら辺をよく言われるのだけど自分でも分からない。てんでばらばら。社会性や協調性が乏しいと言われたら頷かざるを得ないし、だからといって全てがそうかと言われたらそれも違う。多分。
自分のことだけど、なかなかに面倒くさいです。自分自身でも理解できない。
これ、幼い頃から精神面では完全に一人だったのが大きな要因だと思うの。すぐ目の前に家族はいても何一つ交わりを持てなくて、常に感情は置き去り状態。痛いとか辛いとか分からない事や悩みとか、そういうのを言えない環境だったおかげで、こんな年齢になっても肝心な事を伝えるのは下手くそで誤解をされる方が多い。言葉足らずだったり、言葉が多過ぎたり、言葉の選択を間違っていたり、諦めてしまったり、一番に伝えなきゃいけない事が言えなかったりね。
だから、こうして一人で文字を綴って垂れ流している方が得意というか、気が楽というか…。上手く伝えるって本当に難しい。本当に大変。
わざわざ全てを言う必要はないけど、言うべき事は言った方が物事は円滑に行くし、言わなくていい事は飲み込んだ方が円滑に行くのに、どうしたってそれを間違える。まるで釦を掛け違えるかの如く綺麗に間違える。
上手く伝えられないのは私自身が悪いのだろうと、そう思ってる。
そんな事を最近は考えていて、ちょっと脳みそがお疲れ状態。
もうすぐでデラカブでの時間が始まるから、ゆっくりと気持ちを落ち着かせて澱みない気持ちでショーを楽しめたらいいな。
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