3年ぶりの「肝芽腫の会」
昨日は2010年以来、3年ぶりに「肝芽腫の会」に参加してきました。
僕が1歳のときに患い、当時としては奇跡的に助かった、肝芽腫という小児ガンの一種。
現在、その肝芽腫のお子さんをお持ちの親御さんたちの、症例の少ない肝芽腫の情報を共有して一緒に頑張りましょうという「肝芽腫の会」の会員の方に、7年前、PRIDEでの僕の試合に来ていただいて以来のお付き合いなんだけど、僕が会に参加するのは3年ぶりでした。
やっぱり強い自分を見てもらいたくて試合に来ていただいたのが始まりだったから、2010年以降のクソみてーな自分では、とても恥ずかしくて皆さんの前には出られないという思いで会にも参加できないでいたんだけど、
元気になったらそんな思いもどこかに消えて行ったから、また参加していいですか?と連絡したら快諾してくださったので、昨日、久しぶりに参加して、その後の食事会までご一緒させていただいてきました。
参加されていた皆さんと色々とお話させていただいて、とてもよい時間でした。
会の皆さんは物凄く大きな困難と向き合われていたり、それを越えて来られた方たちだからか、話していて、偽りではない大きな優しさ、温かさ、強さを感じます。
この方たちは、どれだけの困難に向き合われているのだろう、越え来られたのだろうということに思いを馳せると、僕は病気のときの記憶もないし、良い先生に出会えたお陰で、運よく1回の手術だけで完治したから、申し訳なささえ感じてしまう。
そんなとき、4年前にも書いたことがあったけど、自分が今こうして過ごしていられることの幸運を感じて、一生懸命に生きなきゃなと、改めて思いますね。
でも、4年前と違うのは、手術の影響で右の腹筋がないことが、やっぱり悔しく仕方がないということ。
今は4年前よりも、その腹筋がないことによる不利益を感じているから尚更かも知れない。
この手術を受けていなかったら、そもそも今こうしていられなかったんだからというのは確かにそうなんだけど、でも、この悔しさはどうしたって消えることはなさそうだ。
右の腹筋があれば、あれもこれも出来るのに…ということが、次から次へと出てくるからね。
でもそれは、一生懸命に競技に打ち込んで上を目指していれば、そう感じて当然のことなんだ、きっと。
だから、いま自分がこうして生きていられることの幸せも、右の腹筋がないことによる不利益の悔しさも、どちらも力に変えて、いま自分がやりたいことに打ち込むしかないんだ。
全てを力に、目の前のことひとつひとつを一生懸命にやるしかない。
そうやってさ、こうして生きて、それだけ打ち込みたいことがあるって、とても幸せなことじゃないか。
時間と共に、経験と共に人の考え方は変わっていくけど、今の僕は4年前とは違って、そう思うようになっているらしい。
なので食事会でも、その後の練習に影響のないものを適量取るに済ませ、
楽しかったから最後まで居たかったけど、渋滞も考慮して少し早めに中座して練習へ。
・・・というのは嘘で、楽しかったので出るのが少し遅れ、けっこうギリギリだったけど練習へ。
そしてバッチリ練習してきたZ!
でもそれで力尽きて、ロードワークには行けなかった・・・
から、今日は2倍走ろうか。
そんな昨日の出来事もまた大きな力に、一層頑張っていこう。
また胸を張って会の皆さんを試合にご招待できるような、そんな舞台まで上って行けるようにね。