千葉は島だったのか。その14
前の日は、ハワイから来た友達の子ども(と言っても19歳だけど)の試合。
僕は久しぶりにセコンドに着いた。
残念ながら試合には負けてしまったけど、
厳しさの中に溢れる愛情をこめたアドバイスは親子にしか出来ないモノだった。
先週、僕の高3と中3の子どもが続けざまにバスケットを引退した。
僕のやっている道場では一緒にやりたくないと始めたバスケット。
それぞれ9年間と6年間、頑張った。
最後の試合を迎えた彼らの笑顔を見たら、良かったなって思ったはずなのに
ハワイの親子鷹に羨ましさを感じた。
その日は打ち上げだったけど翌日はどうにも走りたくなった。
少し遅めに起きても、前回の終点に10時には到着。
ひたすら九十九里の海岸を走る。
昨日の事を思い出して、お父さんとして正しかったかどうかを考えた。
夏休みに入って最初の日曜日なのにあまり海水浴客がいない海岸を走る。
答えは出ないけど、汗は出る。
それはもう、伊能忠敬並に波打ち際を走った。
3時間と少し。
どう考えてもあまり正しくはなかっただろうって結論に、ようやく達する頃
何の変化もない九十九里海岸に大きな防波堤が見えた。
片貝漁港。
もう汗は出尽くした。
6時からの2回目の打ち上げでビールをタラフク飲むために、
僕は九十九里から新橋へ向かった。