投稿日:07.31.2011|カテゴリー:日記






『おい、やっと約束果たしたぞ。』










1988年度(1987年11月)のドラフトで同期入団の同い年。


彼は1位、私は6位。


出会いは遡る事1年前の夏。


第68回全国高等学校野球選手権大会。


いわゆる夏の甲子園。


お互いに2年生の夏だった。


彼と私はチームのエース同士。


1回戦、北海道代表対香川県代表。


私は9回に同点ソロを放ち、そのままサヨナラ勝ちした。


それから1年後の秋、同じチームに“プロ”として入団した。




彼:『あん時、お前に打たれたよな。』


新入団選手の健康診断で、順番待ちの時にふと彼が声を掛けて来た。


私:『覚えてんの?』


彼:『覚えてるよ!』


私:『お前だってオレからツーベース打ったじゃん。』


彼:『…。』


私:『まあ、なんの自慢にもならいけどな…(苦笑)』


私:『今度はオレがお前の投げてる時にホームラン打つよ。』


彼:『おう。頼むわ。』




これが彼との初めての会話であった。




翌年、1月の合同自主トレで川崎球場で一緒に辛い練習をこなした。
グランド40週も先頭に立って掛け声を出し続けた。

一緒に1年生の仕事である、トレーニング場の掃除も毎日した。



2月に入ると、鹿児島へ。

1年生は“体験入学”みたいに3日間だけ1軍に参加させてもらう。


キャッチボールを隣でしていた彼のボールは、格というか桁が違う。


ダイヤモンドとビー玉くらい違う。


『こりゃ、ダメだ。』


すぐに自分が投手として、ダメな事がわかった。


その後もブルペンで立ち投げしていると、先輩の方々が入って来て、コーチから『大村、もういいぞ。』


隅っこで座って見学。


翌日から2軍。


車から降りてすぐ捕球の基本練習。


投手から野手に転向した瞬間である。


彼はそのまま1軍。


私は、そこから5年後に1軍へ初昇格。


彼と再会を果たす。


彼は、“プロ野球選手”になっていた。


再会するまでの間も『こんちゃん、早く上に来いよ。』

と、声を掛けてくれていた。



その後もアップダウンを繰り返していた私は1995年にアメリカに開幕から6月下旬まで二度目の留学をしていた。


帰国後、シーズン終了まで1軍にいる事が出来た。


96年に本塁打を8本打ったがそのうちの1本が彼の投げている試合であった。


やっと約束を果たせた事を試合後、彼に伝えた。


彼は言った。


『何でホームラン打ったのに怒ってんの?』


試合前にちょっとしたトラブルがあり私にとっては怒りの一撃であった。


でも9年越しに彼との約束を果たせた。


その後は、事情を説明すると、彼は笑いながら理解してくれた。


それとこの年に8本打った私に、『こんちゃん、二桁打つバッターは30発打つ素質あるんやで。』


と、言ってくれた。


どういう根拠かは解らなかったが励みになった。


一流投手から言われたのだから。




95、96年の彼は絶頂期。(95年の神戸3連戦は忘れられない…)


若い時は狭山の寮で、千葉に移転してお互いに1軍にいる時は遠征先で、食事したり飲みながら、色々な話をした。


彼は話上手で物知り。
冗談もよく言う。


仕事の話も深く話した。

1年目から1軍で投げていた時の苦労話や投球理論。
野球の話をすれば尽きなかった。


彼の愚痴も聞いてなだめた事もあるが、私の愚痴も聞いてもらった。


1996年、秋に彼はアメリカ大リーグを目指す事になった。


紆余曲折、色々な良くないイメージを持たれていた彼だが、本当はシャイで繊細で素直で優しい心の持ち主。


純粋過ぎて、素直過ぎて、感情がそのまま表に出ているように私からは見えた。

96年、彼は人知れずチームから離れて行った。


普通はチームメイトに別れの挨拶をするものだが、彼はしなかった。


なんて奴だと思った。


ファン感謝デーでマリンのロッカーに行くと、椅子に1枚の色紙が置いてあった。







“こんちゃん、頑張れよ”







きったない字で、書いてあった。


彼からの最後のメッセージだった。


恥ずかしがり屋の彼らしい短いけど優しいメッセージ。


それで全て伝わった。


私も頑張って来いよと心の中で返事をした。


その後、彼とは連絡を取っていない。


たまにテレビで彼の活躍や報道を見て、元気にやってるんだと思っていた…。





もう、連絡は一生取れなくなってしまった…。



何故?という気持ちと、残念、無念、寂しさ、悲しさという気持ちが募る。


一緒にやった仲間が先に…。


早過ぎる。


まだ42。


人生まだ4回途中くらいで降板するのか?


エースは完投するんじゃなかったのか?






一報を伝え聞いてから、ずっと彼との思い出が甦る。

18を着けたでっかい背中。


豪快な笑い声。


野球の話ならずっとしている。



早過ぎるゲームセット。









彼の名は伊良部秀輝。


私の心に一生深く刻まれる。






心よりご冥福をお祈り致します。

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大村巌(元プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズ所属の外野手)プロフィール

大村巌(元プロ野球選手、千葉ロッテマリーンズ所属の外野手)(おおむらいわお)

#性別:男性

#誕生日:1969年5月31日

#出身:北海道稚内市

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