ブックカバーチャレンジ 1~3日め
facebookで評判の良かったブックカバーチャレンジを二回に分けて転載・投稿。
ブックカバーチャレンジ一冊目。
なお紹介するのは表紙だけで内容には言及しないという企画のようですが、それは無視して本の内容を書いていきます。また、次の人にバトンも渡しません。
さて、なにから紹介するか考えた末、「読んだ順」にしようと決めました。まずは小学生のころ。
小学校の図書館に「巌窟王」があり、なんとなしに読んでみたところ、実に面白い。でも巻末の説明を読むと、これはダイジェスト版とのこと。本当のタイトルは「モンテ・クリスト伯」だと書いてありました。
あれ、その本って家にあるなぁと思いだし、早速書棚の世界文学全集を見上げると、あるではないですか、「モンテ・クリスト伯」が。
あまりに分厚く、しかも三冊セット。一瞬ひるみましたが、いざ読み始めてみると止まらない。
信頼していた友人たちに裏切られ、投獄されるも牢の中で爪を研ぎ、脱獄し、裏切ったやつらに復讐していく。
こんなストーリーが面白くないわけがありません。
小学生の私にもっとも影響を与えたのは、ダンテスの「エゴイズム賛歌」でしょう。横並びの教育を受け、みんなと同じように行動することが良しとされていた私にとって、エゴイズムの正当性をこれでもかと論じていくダンテスの痛快さは大いなる衝撃でした。
成人するまでにおそらく数回は読み返し、東京に出てくるときにも持って行ったこの「モンテ・クリスト伯」。今でも持っているのですが、ちょっと奥深い場所にしまい込んだまま取り出せない状態なので、この写真は拾いもの。
まだ読んでいない方には、中原中也風に、こう言いましょう。
モンテ・クリスト伯を読んだことがないんだって?
ああ、まだ人生にそんな楽しみの残されているあなたを、私は羨ましく思う。
ブックカバーチャレンジ二日目。 小学生から中学生にかけて、もっとも読んだのはミステリかもしれない。それも松本清張のような社会派ではなく、乱歩のような変格派でもなく、謎解きに重きを置いたクリスティやクイーン、ヴァン・ダインなどを。 そんな本格派のなかで、もっとも印象に残っているのがこちら。今でも本格派推理小説からただ一作をと言われたら、この作品を挙げるだろう。 「幻の女」 ウィリアム・アイリッシュ ストーリーももちろん面白いのだが、何といっても文体が素晴らしい。はじまりは、こうだ。 ・・・・・・・・ The night was young,and so was he. But the night was sweet, and he was sour. ・・・・・・・・ 訳(稲葉明雄)はこうなる。 ・・・・・・・ 夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。 ・・・・・・・ 霧の中を彷徨い歩くような、この魅惑的な書き出しはどうだろう。 そしてストーリーは・・ ・・・・・・・ その日、彼はただ一人街をさまよっていた。バーに立ち寄ると、奇妙な帽子をかぶった女に会った。形も、大きさも、色までカボチャそっくりなオレンジ色の帽子だった。 彼はその女を誘ってレストランで食事をし、カジノに行き、酒を飲んで別れた。 家に帰ってみると、ケンカ別れしたまま家に残してきた妻が、首に彼のネクタイを巻き付けて絞殺されていた。 彼は逮捕される。そして刻々とせまる死刑執行の日。唯一の目撃者、”幻の女”はどこに? ・・・・・・・ この小説を読む方には約束しよう。古壺に残された芳醇な酒を味わい楽しむようなひとときを。 |
國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
この詩は日本中の中学生が知っているはずだ。もちろん杜甫の「春望」である。
年々歳々 花相似たり
歳々年々 人同じからず
これも有名だろう。どちらの詩も「人間は移り変わっていくのに、自然は変わらない」と言っている。
いっぽうで日本では、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす
または、
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし
となる。つまり人間だけでなく、自然も移り変わっていくとしている。
中国では悠久の自然に、日本では移り行く自然に美しさを求めるのだろうか。
ともあれ、私がもっとも好きな漢詩は、李白の「将進酒」だ。冒頭だけ紹介しよう。
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君見ずや 黄河の水 天上より来るを
奔流し 海に到りて また廻らず
君見ずや 高堂の明鏡 白髪を悲しむを
朝には青糸のごときも 暮れには雪となる
人生意を得れば すべからく歓を尽くすべし
金樽をして空しく月に対せしむる莫かれ
天 我が材を生ずる 必ず用あり
千金散じ尽くせば また また来らん
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訳すまでもないが、こんな意味である。
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君よ、見るがいい。黄河の水が天上より流れ落ちてくる。その奔流が海に流れ込むと、もう二度とそれは戻ってこない。
君よ、見るがいい。立派な屋敷にいながら、鏡に映る白髪の自分を悲しむ老人の姿を。若かりし頃はみどりの黒髪だったのに、今はもう雪のような白髪になってしまった。
そう、人生は楽しめるときに、存分に楽しんでおかねばならぬ。黄金の酒樽を、ただ月光の下にさらしておくだけにしてはいけない。
天は私をこの世に産み落とした。そこにはかならず何かの意味がある。金銭などはいくら使い果たそうと、きっとまた戻ってくるものだ。
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人生は無常である。だからこそ、楽しもう。
一見、とても簡単で単純な考え方だけど、その奥にはとても深い思想がある。
ニーチェは永劫回帰の思想に襲われたとき、「吐き気」を覚えた。それから逃れるためにどうするか。
「踊ること」。これが解決法である。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」の中にも、こういう文章がある。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っている事は分かるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」
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