ブックカバーチャレンジ 4~7日め
ブックカバーチャレンジ四日目。
私の人生にもっとも大きな影響を与えた本は、まぎれもなく「ツァラトゥストラかく語りき」である。
小学生のときは習い事でピアノをやっていたのだが、途中から剣道に変わった。
ちばてつやの「俺は鉄兵」という漫画がとても面白く、主人公の鉄兵が剣道をやっていたからだ。
鉄兵には同級生がいて、彼はいつもツァラトゥストラを読みながらうなり声をあげるほど感動していた。
それを同級生たちはバカにしつつ、彼に「ニーチェ」とあだ名を付けていた。
このシーンを読んだ私は、そんなに感動的なのか、いつか読んでみようと思いつつ、すぐに忘れ去っていた。
生意気盛りの高校生になって、たぶん周りの大人たちと自分は違うんだぞと思いたかったのだろう、
哲学書を読もうと思って書店に行ってみた。
しかしカントやヘーゲルは訳のマズさもあってか、当時の私にとってあまりに難解であった。そんな中で
小学生の頃の記憶をたどり、ニーチェに思い至ったのである。そして手に取った「ツァラトゥストラ」は
文章が比較的平易で、これなら読めそうだと思った。
帰宅し、一気に読み始め、私は衝撃を受ける。なんだこれは、いったいこれが哲学書なのか??
「この老いた聖者は 森の中にいて まだ何も聞いていないのだ 神が死んだということを」
冒頭のこの一節で、私はこのものがたりに没入した。その日のうちに上巻を読み終え、翌日に下巻を読み終える。
数日の間は勉強も部活も手に付かず、この書のさまざまなフレーズが頭の中に常にあった。
友人たちにも話したが、どうも反応が悪い。高校生で哲学好きなんて、そうはいないわけだが、
その中でも一人だけ話の合う友人がいた。彼は東大を出てハイデガーの研究者となり、今は某大学の教授となって
いるようだ。
ニーチェは「同情」に代表される奴隷道徳を否定し、「もっとも醜いもの」に対しても「誇り高くあれ」と言い
、すべての創造者は過酷であるとする。
ニーチェといえばこの超人思想が有名だが、私のこころにもっとも訴えかけたのは「永劫回帰」の思想だった。
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いっさいは行き、いっさいは帰る。存在の車輪は永遠にまわっている。
いっさいは死に、いっさいはふたたび花咲く。
存在の年は永遠にめぐっている。
存在という同じ家は、永遠につくりなおされる。いっさいは別れ、いっさいはふたたび会う。
存在の円環は永遠に忠実に、自己のありかたを護っている。
一瞬一瞬に存在は始まる。それぞれの「ここ」を中心として、「かなた」の球は廻っている。
中心は至るところにある。永遠の歩む道は曲線である。
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なんと美しく、エレガントな思想だろう。これが正しいかどうかなんて、どうでもいい。
ドーキンスが「盲目の時計職人」で言っているように、進化に意味はない。無目的に、
淘汰が何度も累積された結果が、人間である。では、人生に意味はないのであろうか。
ペンローズの提唱する共形サイクリック宇宙論( conformal cyclic cosmology:CCC) では、
宇宙は無限のイーオンが無限に繰り返されているという。
エントロピーは増大する。ならば、宇宙の最初期のエントロピーは極小だったはずだ。ではビッグバンや
インフレーションにおけるエントロピーも極小だったのか?
宇宙の最後ではエントロピーが極大になるはずだが、それはいったいどうなるのか。
ペンローズの説では、宇宙がこのまま膨張し、希薄になれば、そこに残るのは質量のない光子だけとなる。
質量がなければ、時間の経過も距離も測定できなくなる。そこに残るのは「共形構造」だけだ。
共形というと良くわからないが、「相似」のようなものである。つまり線と線のなす角度だけが、
存在する情報となる。
そしてこの共形時空は、最終的な超曲面の「向こう側」まで拡張できる。このとき、粒子がそちらに
(未来方向に)
行くことが可能となる。前のイーオンと次のイーオンは連続し、両者の結合は共形時空構造として完全に
なめらかとなる。
ゼロだった密度と温度は共形的な「押しつぶし」によって有限値に引き上げられ、そしてビッグバンとなり、
共形的な「引き伸ばし」によって無限大の密度と温度が有限値にまで引き下げられる。
エントロピーは増大していくが、宇宙の終末期にはブラックホールの中に多くの情報が詰め込まれ、
物質の自由度は特異点に遭遇し、系から失われる。そしてブラックホールはホーキングが証明したように、
「蒸発」する。情報が喪失され、宇宙全体の位相空間の体積が激減し、位相空間は収縮する・・
共形で情報が次のイーオンに伝達されるということは、永劫回帰も可能なのだろうか。不確定性原理や、
ペンローズ自身が「皇帝の新しい心」で言っているように、脳内は量子状態であることから考えると、、
そう、人生は変えられる。運命も変えられる。現世で恵まれなかったとしても、
次のイーオンではもしかしたら。
※後半はこのブログ「CCCと永劫回帰と死神と」からの転載あり。
http://www.diamondblog.jp/official/yoshinori_yamamoto/2014/09/24/ccc%E3%81%A8%E6%B0%B8%E5%8A%AB%E5%9B%9E%E5%B8%B0%E3%81%A8%E6%AD%BB%E7%A5%9E%E3%81%A8/
ブックカバーチャレンジ五日目。
三島由紀夫にするか小林秀雄にするか悩んだ末、小林秀雄に決めた。もし三島だったら、
私は「鏡子の家」を選んだろう。
なお小林秀雄は「金閣寺」を読んで、三島に「なぜ主人公を殺さなかったのだ」と言って三島を当惑させている。
もちろんあの主人公は生き続けることが重要だったのだが、なぜか小林秀雄はそう読まなかったようだ。
さて私の音楽鑑賞体験に強い影響を与えたのは五味康祐であり、吉田秀和であるのだが、その吉田秀和が
「音楽を文章であらわすという難行、それを為したのが、小林秀雄の『モオツァルト』である」と言っている。
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確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。
空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。
こんなアレグロを書いた音楽家は、モオツァルトの後にも先にもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の短い生涯を駆け抜ける。
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もっとも有名なこの一節をはじめ、高校生の私は「モオツァルト」をほとんど諳んじるまでに読み返した。
流麗なリズム、読点の置き方、平仮名と漢字の配分、すべてにおいて素晴らしい。
ただしもっとも私が好きなのは、「ランボー ~地獄の季節」の訳だ。以下、抜粋する。
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かつては、もし俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴であった、誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった。
ある夜、俺は「美」を膝の上に坐らせた。苦々しいヤツだと思った。俺は思いっきり毒づいてやった。
俺は正義に対して武装した
ああ、季節よ、城よ、
無疵なこころが何処にある。
俺の手懸けた幸せの
魔法を誰が逃れよう。
ゴールの鶏の鳴くごとに、
幸福にはお辞儀しろ。
俺はもう何事も希うまい、
命は幸福を食い過ぎた。
身も魂も奪われて、
何をする根もなくなった。
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Ô saisons, ô châteaux!
これを「季節よ、城よ。」とバッサリ訳した小林秀雄の勁さよ!
中原中也だと
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える
と軟弱になってしまい、確か堀口大学だったと思うが、
おお、駆け巡る季節よ、眼前にそびえたつ城よ
と説明的になっても台無しだ。
季節というのは時間的な流れ、城というのは空間的な存在をあらわしているのだが、それを説明するのではなく、
読み手に任せられること、読み手を信頼することこそが、詩を訳す際の秘訣なのだろう。
ブックカバーチャレンジ六日目。
六日目はホフスタッターの「ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環」である。
原題は”Gödel, Escher, Bach: An Eternal Golden Braid”で、直訳すると
「ゲーデル、エッシャー、バッハ ― 永遠の金色の組み紐」となる。
ゲーデルと言えば「矛盾していない理論は、自己が矛盾していないということを証明できない」とする不完全性定理、
エッシャーと言えばヒトの認知の欠陥を見事に衝いた騙し絵、バッハと言えば完璧なまでに構築されたカノン。
この大著は記号論理学を軸に、禅問答をも含む言葉遊びをまじえつつ、読者をめくるめく知的世界に放り込んでいく。
あたかもバッハを無矛盾のヒルベルトプログラム、エッシャーを真にも偽にもなる論理式になぞらえ、
逆方向から不完全性を証明していくかのようであって、もしかしたらこの著は人工知能への挑戦状ではないのだろうかとも思わせる。
まるでバッハの緻密なカノンの上を歩きながら、いつのまにか自由奔放なるフーガの足跡を追いかけていくような
不思議な気分を読者は感じることができるだろう。
ブックカバーチャレンジ 七日目。
最後はもちろん三石巌先生となる。
まだ20代前半の私が図書館で三石先生の著作に触れることができたのは、まさに僥倖である。
この経験がなければ、今の私は「ただの元ボディビルダー」で終わっていたに違いない。
はじめて手に取ったのは「ビタミンCのすべて」だった。中身をめくって確認すると、
「パーフェクトコーディング」とか「ビタミンカスケード」とか、聞いたこともない単語がいくつも並んでいる。
それまではボディビル雑誌に書いてある記事のみが、私の情報源だった。もちろん内容は偏っていて、
普通の栄養士は知らないであろう「ディベンコサイド」とか「ガンマオリザノール」とか「イノシン」なんて成分を覚え、
それでいい気になっていた。
しかし、あまりにも平凡なタイトルとも言える「ビタミンCのすべて」に、私は打ちのめされた。
帰宅して読むまでも待ちきれず、帰り道はページをめくりながら歩いて行った。
酒飲みに、「五臓六腑に染み渡る」という言葉がある。ちょうどそんな感じで、
「知識が脳に染み渡る」感を、私は覚えた。
そしてビタミンCの原末を買った。忘れもしない、黄色い箱に入っている阪神局方のビタミンC。
いくつか薬局を回って、一番安いところで買った。
酸っぱさに閉口しながら、一日に5gほど飲んでいた。1回に1gを5回に分け、食後やプロテインのときに。
そしてある日、異変が生じた。
小学校3年生くらいのころ、私の右手中指にイボができた。しばらくして人差し指と小指にもできた。
なんとかして取りたくて、「スピール膏」というものを使って取ろうとしたのだが、うまくいかない。
結局そのときは諦めて放置。しかし大学の時、意を決して外科で切ってもらうことにした。
切るとはいっても、液体窒素を吹きかけて、一気に取るというもの。
確かにとれた。それで一安心していたのだが、1ヶ月くらいしたところで、またニョキニョキ出てきやがった。
イボ復活。
それでもう本当に諦めていた。
しかしビタミンCを飲み始めて2~3ヶ月したところ、突然小指のイボが取れたのである。
数日後に人差し指、そして数週間後に一番大きかった中指のもとれた。
イボはウィルス性疾患である。ビタミンCはインターフェロンを増やし、ウィルスに対抗するパワーを与えてくれる。
簡単な論理だ。しかしスピール膏も液体窒素も効かず、10数年悩んでいたものが、こんな簡単に解決されるとは。
気づくと、風邪もあまりひかなくなった。もともと身体が弱く、一年の半分以上は風邪気味だった。
プロテインを飲み始めて少し改善されたが、それでも冬はかならず風邪をひく。
しかしビタミンCを飲み始めたその年は、自分でも驚くほど健康なままでいることができた。
すっかり三石先生に傾倒した私は、図書館で借りられる限りの著書を手に入れ、読みふけることになった。
どの著作にするか迷ったが、健康自主管理シリーズ全6冊にしておこう。すべて古本屋で買ったのだが、
一冊目と二冊目になんと三石先生のサインがあるのだ!
これはちょっと自慢。
数年前に復刻版が出て全5冊に凝縮されたようだが、この6冊は私の宝物である。
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