ハンマークラヴィーア
私がもっとも愛しているのはモーツァルトの音楽だが、もっとも心の琴線に触れるのはベートーヴェンだ。その理由に今は触れないが、親しい人の何割かは、言わずとも分かってくれるかもしれない。
衆目の見るところ、ベートーヴェンの最大傑作は「第九」だろう。しかしクラシックマニアだったら、おそらく大方は作品131の弦楽四重奏曲や作品111のピアノソナタ、あるいは交響曲でも「英雄」や「第7」あたりを候補に挙げるのではないか。
でも私が選ぶのは、作品106のピアノソナタ「ハンマークラヴィーア」になるだろう。おそらく、作品111とどちらにするか、さんざん迷った末に。
これはベートーヴェンが48歳のころの作品。「ハンマークラヴィーア」とは「ピアノ」のことである。だからこのタイトルは、「ピアノのために」とでもいったような意味だと言える。
その第一楽章。いきなり第一主題が強奏される。まるで夕闇に煌めく雷光のように。
やがて優美な第二主題のあと、展開部が引き続き、第一主題がもう一度強奏されて再現部に入る。
次の第二楽章。非常に短い楽章でありながら、美しさと激しさとが共存し、嵐のような第一楽章から深遠なる第三楽章への架け橋となっている。
そして第三楽章アダージョ。
モーツァルトのクラリネット協奏曲が神の書いたもっとも美しい天上の音楽だとしたら、ベートーヴェンのこのアダージョは、人間の書いたもっとも深くて哀しく、そして美しい音楽であろう。
誰にも届かないことを承知で言葉を発するとき、自分にはとうてい手の届かない女性に愛を告白しようとするとき、もうこの世にいない人に戻ってきて欲しいと空しい思いを伝えたいとき、本当は寂しいのに強がりながら一人で生きていこうとうそぶくとき、そんな言葉が音楽になったとしたら、それはきっとこのアダージョのような音楽なんだろう。
この楽章の最初に、A-Cisの音符が後になって加わった。このたった二つの音符にこそ、混沌の暗闇の中からはい上がってきた、苦しい人生を送りながら、それでも人生を続けずにはいられなかったベートーヴェンの「救い」がある。
第四楽章のラルゴ-アレグロリソルートで曲は終わる。
演奏はギレリスを。他にもソロモンやバックハウス、ケンプ、グルダなど名演は数々あるけれど、私にとって最高のハンマークラヴィーアと言えば、ギレリスをおいて他にはない。
この画像のギレリスは、いったいどこをみているのか。彼には、なにがみえているのか。人生を超え、世情を超え、時間を超えて、ベートーヴェンの魂にギレリスは触れているかのようだ。