ツァラトゥストラの深層
青春期に読んだ本は、その後の人格形成に強く影響を及ぼす。私の場合、もっとも強く影響を受けたのがニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」だ。
この書についてはじめて知ったのは、実は漫画がきっかけである。ちばてつやの「俺は鉄兵」という漫画で、主人公の鉄兵の同級生がいつもこの本を読みながら感動していて、同級生たちはバカにしながら彼のことを「ニーチェ」と呼んでいたのである。小学生の時にこのシーンを読んだ私は、そんなに感動的なのか、いつか読んでみようと思いつつ、すぐに忘れ去っていた。
そして生意気盛りの高校生になり、哲学書を読もうと思って書店に行ってみた。しかしカントやヘーゲルは訳のマズさもあってか、当時の私にとってあまりに難解であった。そんな中で小学生の頃の記憶をたどり、ニーチェに思い至ったのである。そして手に取った「ツァラトゥストラ」は文章が比較的平易で、これなら読めそうだと思った。
帰宅し、一気に読み始め、私は衝撃を受ける。なんだこれは、いったいこれが哲学書なのか??
「この老いた聖者は 森の中にいて まだ何も聞いていないのだ 神が死んだということを」
冒頭のこの一節で、私はこのものがたりに没入した。その日のうちに上巻を読み終え、翌日に下巻を読み終える。数日の間は勉強も部活も手に付かず、この書のさまざまなフレーズが頭の中に常にあった。
友人たちにも話したが、どうも反応が悪い。高校生で哲学好きなんて、そうはいないわけだが、その中でも一人だけ話の合う友人がいた。彼は東大を出てハイデガーの研究者となり、今は某大学の教授となっているようだ。
ニーチェに傾倒した私は、彼が書いた他の本、「善悪の彼岸」や「人間的あまりに人間的」、「この人をみよ」なども読み漁る。「この人をみよ」で、あれ、これはちょっとマズイんじゃないかと思ったところ、やはり晩年は精神に支障をきたしていたと知った。
さてツァラトゥストラについて、自分としては感動したのだが、この感動が本当に正しいのかどうもわからない。本の後書きには「非常に難解なこの書」なんて書いてあるし、私にはまったく読み取れなかった裏の意味がいろいろあるのかもしれぬ。今だったらネットで調べまくるのだが、当時はそれもできない。
そこで、図書館でツァラトゥストラの解説本を探すことにした。いろいろ読んでいるうちに、自分の読み方は間違っていなかったと知って安堵したのだが、その中で見つけたこの「ツァラトゥストラの深層」に、私は大いに感銘を受けたのである。
この書では、ニーチェ哲学とユング心理学とのみごとな関連付けがなされている。一例をあげるとして、ユングのいう「夜の海の航海」は人生の後半期において「無気力の試練」として現れるが、ここで想起されるのが「日の出前」における空の青さであるとする。
林はこういう。「あの光に満ち溢れた空の美しい描写は、雲の白さも許さない、まして一点の暗さも拒絶する、あまりに一面的なものであり、心理学的には恐ろしいまでの影の抑圧を表すものだったのである」と。
この「ツァラトゥストラの深層」があまりに気に入った私は返却期限が2週間だったのを忘れ、半年くらい借りっぱなしにしてしまい、返却時に図書館員に怒られた記憶が未だにある。そして今、古本でようやく手に入れることができた。今後、決して手放さないであろう書の一冊となる。