小島慶子さんとの対談♪
パートタイム教授、奥田健次です( ̄▽ ̄;)
ここのところ、ずっと毎日ちがうホテルを転々としています。わしゃ、指名手配犯か! 笑
お正月の寝違えが、まだ良くならないです。いや、持ち越しすぎて状態悪いと思う。2、3日ほど、まとまった休みが欲しいところですが、1日もオフ日がありません┐(´д`)┌
いよいよ、月末にはバンクーバー行きも控えています。今年もバンクーバーで、ホットチョコレート飲むねん。
さて、こんな激しい移動の中、ダイヤモンド社で出版記念企画(拙著『世界に1つだけの子育ての教科書 – 子育ての失敗を100%取り戻す方法』)の第2弾、小島慶子さんとの対談が行われました。
限られた時間でしたが、激しく、熱く、面白く、なおかつ学び多き時間となりました。
小島さん、ナタでスパーンと竹を割るようなお方でした(^^)
「スパーン」ちゃうね。「竹」ちゃうね。今の桃太郎のCMだとこんな感じで「ぱっかーん」ってなる。
桃太:慶ちゃんナタで思いっきり”ぱっかーん”て。
金太:あぶねーじゃん!(笑)
桃太:で、ちょっと当たってさ。
浦島:ウソ!当たったの?
桃太:で、慶ちゃん「あ、ゴメン、ゴメ〜ン」て。
浦島:あ、そこは謝るんだ(笑)
桃太:でも俺「ん、いいよぉ」て。
・・・すんません。「ぱっかーん」って言いたかったので、つい脱線。
私のキャラもしばしば刃物で語られることがありますが、どうして小島さんがそうなっちゃったんだろうか、個人的に興味ありました。
「もしや、育ちが悪いんちゃうか?」「おれがそうやし」「おれの師匠もそうやし」などと心の中で思ったりもしましたが、一方で「TBSの看板女子アナになるのに育ちが悪いわけないやん」と思い直したりもしました。笑
で、まあそれについては私は対談前に小島慶子さんの『解縛: しんどい親から自由になる』を読んでいましたので、そんなに上記のような疑問を持つこともなかったのです。
壮絶。
まあ、壮絶です。
タイムマシンがあれば、小島さんにひどいことした連中を懲らしめに行きたいと思いました。
家柄とか親が高所得で一等地に住んでいるとか、そういう側面だけで「育ちが良い」などと言えるわけがない。そういうことの生き証人みたいなお方かな。
そもそも、ここでいう「育ちの良さ」の「良い-悪い」なんてモノの見方はね、大衆的な考え方でしょうね。
小島慶子さんの壮絶な子ども時代は、世間からみれば大変だったねと思われるようなものですが、私は「大変苦しかったでしょうけど、良かったですよね」と思いましたし。対談のときに、そういうこともご本人に言ってしまったはず。
私もボコボコにされながらの少年時代でしたが、そこから学ぶこともあって今の自分がいるわけです。
とはいえ、そのボコボコにされたことを容認しませんよ。全否定します。体罰するしかスキルのない大人は「良かったんでしょ、ボコボコにされて今があるんでしょ?」と言うんですが、それは思慮が浅いとしか言いようがない。
たまたま生きているだけです。
もしかしたら死んだかもしれないし、殺されたかもしれないし、殺したかもしれない。
だいたい、私の場合はですね。大人の都合でいえば「体罰」のつもりだったのでしょうが、今の常識で考えれば明らかな「虐待」だったわけですから。
ここだけ読んでもピンと来ないかもしれませんね。私の『世界に1つ〜』の本の話は横に置いておいて、小島慶子さんの『解縛: しんどい親から自由になる』を、ぜひお読み下さい。本当に壮絶ですから。
そんな“おれたちの壮絶ヒストリー”(あえて俺達と言っておきましょ・笑)の二人の対談ですが、昨日から公開されました。こちらから、ご覧いただけます。
今日、後編が公開される予定です。
前編では、小島さんの「母親」という立場よりも「コーチ」としての役割を果たしておられるのが印象的です。名伯楽。実際には、そこのくだりはさすがアナウンサー。よどみなく、息子さんに伝えたシーンを再現して下さいました。
対談では伝わらない、テレビ的に面白いシーンなんで、次はテレビやラジオでやってみたいです(^o^)
本日公開される後編は、最後に爆笑トーク炸裂です。
ヒント?
ハリウッド女優の家族に、私がやってしまったトンデモナイ話です( ̄▽ ̄)笑
小島さん、大爆笑。
乞うご期待。
対談、第3弾は『断捨離』のやましたひでこさんです。私の子育ての方針と、見事にマッチするところだらけで、これまた楽しい楽しい対談となりました。
第1弾のダイアモンド✡ユカイさんとのロック対談エピソードは、こちらです(ユカイさんとの愉快でロックな子育て対談♪)。
奥田健次
皆、色々ありますよね。
私は自傷経験ありで、ODや飛び降りなんて事もありました( ´_ゝ`)後遺症なく生きてるんですから、運が良かった。
強迫性障害はずっとだし、赤面症もなかなか治りません(-_-;)
家の事も、誰にも話したことがないけど(話せる人がいないから)、思うところはあります。
それでも、純粋に楽しい時はあるものです(^^)
あ。
私、絶対に冗談でも腹が立ってても子どもに「嫌い」は言わないよう決めています。
コレだけです、今のとこ完璧に出来てるのは(笑)
多くの子どもが、幸せに生きていけますように☆
こんばんは(^ ^)
小島さんとの対談を読んできました。
私も子供時代から色んな経験をして今があります。さらっと話すとビックリされますが 今は全てを受け入れて それも自分を作ったものだと言えるけど長い長い年月が必要でした。
できるなら悲しい思いをする お子さんが減ってほしい。親子が笑っている家族が先生の本で増えたらいいなと いつも願っています(^ ^)
相変わらず ずれたコメントだったらゴメンなさい。
おはようございます。
大人の事情による壮絶な子供時代から生き残られた方を、一般人(笑)が軽々しく良かったねとは言えません。。
幼子なのに多くを学ばなければならなかった、それはとてもとて苦しいです。
そんな時代を乗り越えた方にしかわからないこと、たくさんあると思います。そんな経験が、尊敬される人物を作った要因にはなっているとは思うけど、ご本人たちにとってみれば一生消えないものですよね。
私に出来るのは、もちろん自分自身もですが、子供たちがちゃんとした子育てを出来る大人になれるような子育て。奥田先生の子育てを身につけられるように頑張っています。
奥田先生、こんにちは。
小島慶子さんとの対談はとても面白く、ヒントもたくさん頂きました。
子どもにはコーチや軍曹のように声がけしたほうがうまくいく場面がたくさんありますね。
スイミングの着替えをロッカーにちゃんと入れる(更衣室の床に置きっぱなしにしない)、連絡帳を書いてくるなど、遠隔操作がうまくいくように、作戦を実行中です。
小島さんのご本も読んでみたいと思います。
こんにちは。
小島さんとの対談、前篇後編読ませて頂きました。
「死にたい」という言葉が暴力だったと気づいたという小島さんの言葉に、過去自分が感じていたもやもやが何だったのか解った気がします。
うちは家族全員が父にぶっとばされることがしょっちゅうという家で、それは父が病気で入院するまで続いてました。
体が思うように動かない、食事制限で食べたいものも食べれない、視力がどんどん落ちてあまり見えない、そんなストレスもあったのでしょうが、母を殴り暴れることがしょっちゅうで止めに入れば「今すぐ死ぬ!」と言うような状態が続いてました。
病気のつらさがあるのだろうからと、こちらも迷ってしまっていましたが、ある日また暴れて「死ぬ!」と言った時に覚悟を決めないとだめだなと思い、「今すぐ海に突き飛ばして殺してやるから、こい!(家の裏が海なのです)」と言いました。父は「やれ!」と数歩動きましたが、足が止まったので、「親からもらった命をそんな簡単に捨てれるんやな」と言ったら、父はだまって自分の部屋に戻っていき、それ以降「死ぬ」という脅しは使わなくなりました。
この頃父はよく祖父母の話をしていたこと、娘の私から親からもらった命を簡単に捨てれるのかと言われて捨てると言ってしまえば、私が同じことをするといえば認めなければならず、捨てるとは言えなかったのかもしれません。
その時自分が何故そうしたかを考えた時に、大きな怒りと悲しいと思う気持ちがあったと思います。自分達に向けられた暴力の怒りと、本人のつらさを想像してもどうにもしてあげられない悲しみと、複雑だったなぁと。
父の場合は本当に死ぬつもりなどなかったと思うので小島さんのケースとは違いますが、家族の形もいろいろで、だけれどちゃんと向き合うということがどういうことなのか、今もずっと考えています。
目の前にある家族の問題だけでなく、他の人間関係でもそうですけど、本当にその問題を解決したければ、一緒になって泥をかぶる覚悟がいるんじゃないかと最近思います。
それは後編で先生がおっしゃるようなテクニックを身に着けるための労力もそうですし、何の努力もせず、一ミリも自分を傷つけることなく解決できることはありえないんじゃないかと思います。
父の見舞いにいけば他の家族から「お父さんの彼女が来たよ!」と言われ、本人の前で、「こんな人、絶対に選ばない」と正直に言ったりしますが、こんなどたばたでいつも問題山積みですが、家族やってます。