人が孤独を感じる理由
ボクは物心ついた頃から孤独感と共存している。社交的に振る舞える性格なので、小学生時代からサラリーマン時代を含めて、常に友人たちに囲まれていた。もちろんそのために毎日自分を奮い立たせていたし、多大なストレスと向き合ってきた。だからボクの見た目からは、孤独と無縁だと誰もが思うはず。
だけど言い知れない孤独を常に抱えている。誰とも分かり合えないという想い、自分は異質な人間だという不安を手放すことができない。だからそのことがバレないよう、全力で明るく振る舞ってきた。今でも高校時代の夢を見ると、大勢の友人に囲まれながら孤独にどっぷりと浸かってしまう。
そんなボクの孤独感を、科学的に説明してくれる記事があった。
自分を孤独だと思っている人は、単に「感性が独特」なだけの可能性
リンク先の記事は、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究チームが実施した研究をまとめたもの。『自分を「孤独だと感じている人」と「孤独とは感じていない人」の脳画像を比較し、自分が孤独だと感じている人の脳の反応が「独特である」ことを発見した』とのこと。
具体的な研究方法はリンク先の記事を読んでもらえばと思う。なかなか興味深い研究だった。孤独だと感じる人は、同じ状況に接しても他人と異なる脳の動きを見せるらしい。同じ体験をしても、孤独を感じない人とは感じ方が異なるそう。
要するに友人に囲まれているような状況でも、脳の反応によって孤独だと感じるということ。う〜ん、これはボクに当てはまるような気がする。この研究で発表されているように、ボクの脳は特異な動きで孤独だと感じているのかもしれない。
だとしても、孤独を感じる理由はそれだけじゃないと思う。個人差はあれ、人間というのは本質的に孤独を感じる生き物だと確信している。
ここからはスピリチュアルな内容になる。ボクにとって揺るぎない事実として、『全ては一つ』というものがある。いわゆるワンネス意識というもの。
宇宙にたった一つの意識しか存在しないと仮定しよう。その宇宙は自分を認識することができない。それゆえ意識を分離させることで、客観的に自分を認識するしかない。それが宇宙の始まりであり、恒星、惑星、そして鉱物、植物、動物と分離が進み、究極的な存在として人間が誕生したと考えている。
本来はたった一つの意識だったのに、人間は『自我』という枠組みでしか世界を認知できない。それゆえ人間の本質にあるのが孤独だと思う。孤独を感じることは普通のことであり、その想いがいずれ分離から統合へと向かう貴重な動力源となる。
そう考えるようになって、ボクは孤独と和解することができた。一人在ることの意義も実感している。ただし孤独と孤立は違う。孤立は『自我』の存在価値を見失わせ、人を破壊的な状況へ追いやってしまう。いじめや誹謗中傷が引き起こすのは孤独ではなく孤立。そのことを忘れてはいけないと思う。
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