三位一体についての考察
今日のブログはボクの完全な独り言なので、適当に読んでもらえたらと思うwww
新しい小説のテーマとして浮かび上がってきたのが『三位一体』だった。ヴューワーズたちを登場人物として扱うことで、夢体脱を通じて物語の場面を体験させてもらっている。その一環として、最近になって提示されたテーマがこれ。
この三位一体というのは、キリスト教で使われている言葉。父と聖霊と子というのがその内容。ところがヒンドゥー教にも『三神一体』という概念があり、日本古来のアニミズム信仰にも『三相一体』という言葉があるそう。
この数字の『3』というのがキーポイントだと思う。精神世界における最初単位の数字として『3』が何らかの意味を持っていると思われる。それ以外にも数字の3はよく使われる。『三大◯◯』というのはあらゆるジャンルに及ぶ。オリンピックのメダルも金・銀・銅の3種類。
ボクが考察している『三位一体』というのはキリスト教とは関係なく、人間の意識構造の基本形として捉えている。だけど父・聖霊・子という概念はボクの得ている感覚に近い。ここからが完全な独り言で、自分の考えを整理しながら書いているのでまとまりがないと思う。
ボクは幼い頃からもう一人の『自分』を知覚していた。記憶にあるので4〜5歳の頃。布団に入って眠りにつこうとすると、いつも自分の身体を眺めているもう一人の自分を感じた。部屋の気配や、階下の寿司屋のテレビの音、道路を歩いている人の会話等、周囲の全てをありのままに感じていた。
その自分は、肉体の自分とは違う次元に存在している。全てが必然だとわかっていて、起きる出来事が避けられないことを知っている。このもう一人の自分が、ここ数年でボクの中で大きな存在になってきた。ここで登場するのが人間の自由意志と運命論に関するもの。二つの人格を整理してみよう。
(1)時間と空間に閉じ込められた『自我』という存在。人間に自由意志があると信じ、努力によって運命を導こうとしている。それゆえ挫折も経験する。
(2)時間の概念を超越して『自我』が拡大した存在。過去・現在・未来が同時に存在することを自覚していて、人間に自由意志がないことを理解している。それゆえ(1)の自分に起きる出来事を受容させようと働きかけている。
人間が悟りへと近づき、解脱への道を歩もうとする時、(2)の存在が大きな力を持ってくると思われる。そうして自由意志と運命論のバランスが調節され、その人物の意識を取り巻いている『自我』の枠組みを溶解させていくと思う。
(1)と(2)が完璧に手を組むことで、ようやく(3)の自分が表出すると思う。それは(1)と(2)が有している『私』という概念を完全に超越した存在で、自他の壁が消失した状態。
(3)=ワンネス意識
この(3)を垣間見た人が、いわゆる悟りを得た人ではないだろうか? だけで生きている限り(1)と(2)の影響を無視できない。それでも(3)を知っているかどうかの違いは大きい。一瞬の体験であっても、その刻印が消えることは2度とないから。
キリスト教の三位一体である子・聖霊・父という関係性が、(1)・(2)・(3)を象徴しているような気がしている。
とまぁ最近はこんなことを真剣に考えている。まだまだ試行錯誤しているけれどね。ちょっとした独り言でしたwww
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