災難の要因は思い込み
ネットでニュースや芸能ネタを読んでいると、いつも思うことがある。絶対的な真実なんてなくて、相対的な事実が存在するだけではないだろうか、と。
どんなことにも相反する意見があるのは当然なんだけれど、普通はまともな議論にならない。議論というのは意見を交わすことで、真実をあぶり出そうとするもの。だけど人間は思い込みが激しくて、自分の主張を盲信していることがほとんど。それはボクも含めてそうだと思う。
だから相反する意見が、議論を通じて共通認識に至ることのほうが少ない。平行線のまま相手をののしり、決裂するのがほとんどだろうwww
つまりボクたちが事実だと思っている出来事は、あらゆる人間の思い込みによって構成されている。そのなかから自分に合ったものを選び、それを真実としてとらえているに過ぎないのではないだろうか?
まさにそんな思い込みの世界を、映画を通じて教えてくれる作品がある。
『ハリーの災難』(原題:The Trouble with Harry)という1955年のアメリカ映画。アルフレッド・ヒッチコック監督のブラック・ユーモア作品ということで、かなり期待して観た。だけど60年以上前だと、やはり笑いのツボが微妙にちがう。
最新のエンタメに慣れているボクにとっては、どちらかと言えば退屈に感じる作品だった。だけどじっくり見ていると、人間の思い込みの強さをうまく使っている。さすがヒッチコックだなぁ、と感心した。
ある田舎町の森のなかで男の死体が発見される。殺されたのはタイトルにあるハリー。この死体を通じてドタバタ劇が始まる。
狩をしていたアルバートは、ウサギを撃つつもりでハリーを殺してしまった、と思い込む。
街でハリーにちょっかいを出されたアイビーは、自分の靴の金属のかかとでハリーを殴った。それで彼を殺した、と思い込む。
この二人がそれぞれにハリーを殺したと思い込むことで、ハリーの妻であるジェニファーや画家のサムが巻き込まれていく物語。事情がコロコロ変わっていくので、ハリーの遺体は土に埋められたり、掘り出されたりが何度も繰り返される。まさにそれが『ハリーの災難』ということwww
結論としてハリーは殺されたのではなく、心臓発作で死んだことがわかる。だけど死体を埋めたり、掘り出したりしていたのでヤバい。そこで先程の4人が考えたのは、ジェニファーの息子のアーニーを使う作戦。実はアーニーが死体の第一発見者だった。
幼い彼は昨日と明日の概念がいい加減。だからアーニーの証言を利用することで、昨日でなく今日に死体を見つけたことにするというオチだった。
ちなみにジェニファーを演じたシャーリー・マクレーンは、この映画がデビュー作とのこと。やっぱり若いし綺麗だったなぁ。この4人で生きているのはシャーリーだけ。だって60年以上も前の映画だもんね。
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