今日の言葉 5月5日
『感傷と情動が残忍性を育む』
愛が領しているところには、情動や感傷が入る余地は全くないことは誰にでもわかります。涙もろさや情動は、好き嫌いから来る反応にしかすぎません。私はあなたが好きだ。それでもうあなたに夢中だ。私はこの場所が気に入っている。とにかく素晴らしい、等々。しかしそこには他のものは気に入らない、云々という意味が含まれているのです。そういう訳で、感傷と情動は残忍性を育みます。
感傷と情動がやって来ると、愛が姿を消してしまうことは誰の目にも明らかです。好き嫌いにまつわる残忍性を育むのは、情動と感傷です。また、嫉妬のあるところ、当然のことながら、愛は全く存在しないことも分かります。私はあなたが羨ましい。私より良い地位、職、家を持っているから。あなたは私より素敵に見える、知的に見える、覚醒しているように見える。だから私はあなたに嫉妬を覚える。
実際、あなたに嫉妬を感じているとは言わないが、私はあなたと張り合う。しかし張り合うということは、嫉妬や羨望の一種です。ですから羨望や嫉妬は愛ではないということに気づいて、私は直ちにそれらを拭い去るのです。どうやってそれらを拭い去ったらいいかについて話し続けている間中ずっと、相も変わらず嫉妬深いままでいる、ということをやめて、葉っぱの上に何日もたまった埃を雨水が洗い流してしまうように、私は実際それらを拭い去ってしまうのです。それらをただ洗い流してしまうだけなのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜